Date:2007.12/17 [Mon]14:43 | Category:[ネットウォッチ?]
2007.12.17.の「大淀事件」系(大淀事件16)
理想がないよりは、あるほうがいいと思う。
それに向かって努力する姿は、美しいものだ。
しかし、自分がやろうともしない、
スタート地点にさえ立っていない事に対して
声高に、他人に強制するのは、全く美しくない。醜悪と言い切ってもいい。
……以上は、下にリンク張った報道への感想。
さて、体調は、悪いのですが、
「弱かったり、運が悪かったり、何も知らなかったといっても、
それは何もやらないことの言い訳にならない」
という力強くも美しい言葉に背中を押され、
大阪地裁での第四回弁論準備に行ってまいりました。
視線は一切送らない。
見たら最後、偽ボイスターズキックを入れそうだったから。
昨日付けの朝日新聞の記事を、産科医療のこれから様で見たところだったし。
これが前記事に書いた「僕にできることを」だったのですが、
夏以来の再会がありましたし、
レポート挙げて下さっている方もおられますし、
今回は書かんでいいかな?
(と思いましたが、現場の空気を少しでも伝えたいと、ただいま書いてます)
上げました→ その1、その2
早々に地裁を後にし、ランチを頂戴していたのですが、
メニューからドリンクを選ぶさい、
「じゃあ、ピーチティで。モモだからv」
何故、そこで笑うんですか。
なんだか自分が恥ずかしい。
色々気持ちは乱れ、今は消化不良で苦しいです。
原告側は言葉で現実を隠蔽しながら、
被告側が原告側の問いかけに答えないのは、
都合の悪い事実を隠しているからだ、卑怯だ、
お前ら悪者は、正義の鉄槌を喰らうべきだといわんばかりの
独演会を繰り広げているように思った(主観!)
“準備”だから言い返せない、のか
紳士的に自分のターン(次回)を待たれているのか、
そのあたりの事情は、裁判というシステムに無知なため
分からないけれど、とにかく歯がゆい。
こんな現代医学的に成立しないであろう
“ご意見”(というか独特の宗教かと思った)に、
てめーらのやり方が間違ってるからこんな事になったんだよ、
ええっ、とすごまれる産科医の先生方全てが可哀そうだ。
原告側勝訴だと、また、産科医はがっくりと減るだろう。
脳外科もどどどっと減るだろうな。
それだけ呆れるほどに、
医学的な基本ルールを無視したとしか思えない(主観!)、
原告側の主張だった。
最後に一発、
被告側が感情じゃない事実で
原告の言い分どおりには、実際は進みません。
たとえ国循でも、そんなに早くはできません、と入れてくださり、
多少はすっとはしたが。
次回、2月6日(水)11時からの被告側のターンでは、
原告側は、今回の被告側のように、途中で口を挟まず、
主張を語らせて下さるのかしら?
全然スマートじゃないと思うやり方でも、これは喧嘩の一種だ。
喧嘩は相手を負かした方が勝ちなのだから、不安を覚える。
(日々のたわごと・医療問題資料館様で教えていただいた、
裁判官の以前の判例からも)
何よりも腹立たしいのは、
原告側弁護士は、自分の主張が医学的に正しいとは
決して思っていないと感じる事。
彼はかなり有能。
医師ブログで検討された内容も、把握されている。
分からないから、振りかざすのではなく、
分かっているけれど、
原告を勝たせるために、プロとして、
裁判官の心象を有利なものにしようと、立ち回っている。
かけてもいいが、もし、原告側弁護士は、
彼の身内、もしくは大切な人が、同じ状況になったとき、
「脳外科ならどこでも血種除去術ができるから、脳外科に運べ」
とは言わない。産婦人科も脳外科もあるところを求めるだろう。
だから、これは間違っていますよ、と被告側が、
優しく諭すように理路整然と事実を並べても、痛くも痒くもないだろう。
向うは己の論に在る医学的矛盾を重々承知で喧嘩を吹っ掛けている。
裁判官に医学的知識が少ない事を、武器にしているのだから、
被告側も、もっと低レベルな戦法に出ないと、勝てない。
原告側のように、我々はこうしたいのだけれど、
相手が、それは自分達に都合が悪いと逃げて
非協力的だから仕方なく、というポーズを各所に挟み込み、
相手を低く思わせないと巻き込まれてしまう、そんな印象を持った。
冒頭で感想を述べた、リンク先の記事
「搬送拒否妊婦死亡 遺族が県立医大で訴え」について。
主催者の医学生は31歳。
“講師”の一人より年長である。
根拠のない自信は妄想に過ぎない。
どんな名医でも、自信なんて持てるはずがない。
医学書を読めとは言わない。
『ブラックジャック』を読め。
天才外科医は自分の限界も、医学の限界も知っている。
“講師”の一人はまだ若い。センター試験を受けて、
県立医大に行けば、6年後は医者だ。日本はその点公平だ。
産婦人科医局の、あの凄まじい激務の当直日誌の実体験もできる。
彼の理想が実現不可能とは言わない。
未来は予想出来ても断定はできない。
彼が、
「自信をもって医療行為ができ、誰の手でも握れる優しい手を持った」
産婦人科医になってくだされば、それは、未来の妊婦さんにとって
過酷な状況に追い込まれている日本の産科医療にとって
どれだけの大きな救いとなるだろうか。
彼はそれができる人かも知れないが、
少なくても現状ではそれが出来ない人が大多数だから、
医師らは、より良い治療を探求し、失敗成功の積み重ねが、
医療の進歩と言われるものになっているのだ、と私は感じる。
私は、先人達の築いた歴史に敬意を払いたい。
また、何かの間違いで、彼がその理想を体現できなかった時は、
彼の言葉で傷ついた、当時、彼らの精一杯をはるかに超える激務を
信念と情熱と使命感で
(『人造人間キャシャーン』じゃないけれど、俺らがやらずに誰がやるの気合で)
引き受けていた現場医療関係者に、
「ごめんなさい」の言葉が欲しい。
理想と現実は同じではないのだから。
それに向かって努力する姿は、美しいものだ。
しかし、自分がやろうともしない、
スタート地点にさえ立っていない事に対して
声高に、他人に強制するのは、全く美しくない。醜悪と言い切ってもいい。
……以上は、下にリンク張った報道への感想。
さて、体調は、悪いのですが、
「弱かったり、運が悪かったり、何も知らなかったといっても、
それは何もやらないことの言い訳にならない」
という力強くも美しい言葉に背中を押され、
大阪地裁での第四回弁論準備に行ってまいりました。
視線は一切送らない。
見たら最後、偽ボイスターズキックを入れそうだったから。
昨日付けの朝日新聞の記事を、産科医療のこれから様で見たところだったし。
これが前記事に書いた「僕にできることを」だったのですが、
夏以来の再会がありましたし、
レポート挙げて下さっている方もおられますし、
今回は書かんでいいかな?
(と思いましたが、現場の空気を少しでも伝えたいと、ただいま書いてます)
上げました→ その1、その2
早々に地裁を後にし、ランチを頂戴していたのですが、
メニューからドリンクを選ぶさい、
「じゃあ、ピーチティで。モモだからv」
何故、そこで笑うんですか。
なんだか自分が恥ずかしい。
色々気持ちは乱れ、今は消化不良で苦しいです。
原告側は言葉で現実を隠蔽しながら、
被告側が原告側の問いかけに答えないのは、
都合の悪い事実を隠しているからだ、卑怯だ、
お前ら悪者は、正義の鉄槌を喰らうべきだといわんばかりの
独演会を繰り広げているように思った(主観!)
“準備”だから言い返せない、のか
紳士的に自分のターン(次回)を待たれているのか、
そのあたりの事情は、裁判というシステムに無知なため
分からないけれど、とにかく歯がゆい。
こんな現代医学的に成立しないであろう
“ご意見”(というか独特の宗教かと思った)に、
てめーらのやり方が間違ってるからこんな事になったんだよ、
ええっ、とすごまれる産科医の先生方全てが可哀そうだ。
原告側勝訴だと、また、産科医はがっくりと減るだろう。
脳外科もどどどっと減るだろうな。
それだけ呆れるほどに、
医学的な基本ルールを無視したとしか思えない(主観!)、
原告側の主張だった。
最後に一発、
被告側が感情じゃない事実で
原告の言い分どおりには、実際は進みません。
たとえ国循でも、そんなに早くはできません、と入れてくださり、
多少はすっとはしたが。
次回、2月6日(水)11時からの被告側のターンでは、
原告側は、今回の被告側のように、途中で口を挟まず、
主張を語らせて下さるのかしら?
全然スマートじゃないと思うやり方でも、これは喧嘩の一種だ。
喧嘩は相手を負かした方が勝ちなのだから、不安を覚える。
(日々のたわごと・医療問題資料館様で教えていただいた、
裁判官の以前の判例からも)
何よりも腹立たしいのは、
原告側弁護士は、自分の主張が医学的に正しいとは
決して思っていないと感じる事。
彼はかなり有能。
医師ブログで検討された内容も、把握されている。
分からないから、振りかざすのではなく、
分かっているけれど、
原告を勝たせるために、プロとして、
裁判官の心象を有利なものにしようと、立ち回っている。
かけてもいいが、もし、原告側弁護士は、
彼の身内、もしくは大切な人が、同じ状況になったとき、
「脳外科ならどこでも血種除去術ができるから、脳外科に運べ」
とは言わない。産婦人科も脳外科もあるところを求めるだろう。
だから、これは間違っていますよ、と被告側が、
優しく諭すように理路整然と事実を並べても、痛くも痒くもないだろう。
向うは己の論に在る医学的矛盾を重々承知で喧嘩を吹っ掛けている。
裁判官に医学的知識が少ない事を、武器にしているのだから、
被告側も、もっと低レベルな戦法に出ないと、勝てない。
原告側のように、我々はこうしたいのだけれど、
相手が、それは自分達に都合が悪いと逃げて
非協力的だから仕方なく、というポーズを各所に挟み込み、
相手を低く思わせないと巻き込まれてしまう、そんな印象を持った。
冒頭で感想を述べた、リンク先の記事
「搬送拒否妊婦死亡 遺族が県立医大で訴え」について。
主催者の医学生は31歳。
“講師”の一人より年長である。
両立しない二つの言葉。「自信を持って医療行為のできるかっこいい医師になってほしい」
「(技術だけが優れた)神の手になるより、誰の手でも握れる優しい手になってください」
根拠のない自信は妄想に過ぎない。
どんな名医でも、自信なんて持てるはずがない。
医学書を読めとは言わない。
『ブラックジャック』を読め。
天才外科医は自分の限界も、医学の限界も知っている。
“講師”の一人はまだ若い。センター試験を受けて、
県立医大に行けば、6年後は医者だ。日本はその点公平だ。
産婦人科医局の、あの凄まじい激務の当直日誌の実体験もできる。
彼の理想が実現不可能とは言わない。
未来は予想出来ても断定はできない。
彼が、
「自信をもって医療行為ができ、誰の手でも握れる優しい手を持った」
産婦人科医になってくだされば、それは、未来の妊婦さんにとって
過酷な状況に追い込まれている日本の産科医療にとって
どれだけの大きな救いとなるだろうか。
彼はそれができる人かも知れないが、
少なくても現状ではそれが出来ない人が大多数だから、
医師らは、より良い治療を探求し、失敗成功の積み重ねが、
医療の進歩と言われるものになっているのだ、と私は感じる。
私は、先人達の築いた歴史に敬意を払いたい。
また、何かの間違いで、彼がその理想を体現できなかった時は、
彼の言葉で傷ついた、当時、彼らの精一杯をはるかに超える激務を
信念と情熱と使命感で
(『人造人間キャシャーン』じゃないけれど、俺らがやらずに誰がやるの気合で)
引き受けていた現場医療関係者に、
「ごめんなさい」の言葉が欲しい。
理想と現実は同じではないのだから。


NoTitle
私は昔経営コンサルタントしてまして、この手の訴訟の傍聴は何十回もあり、証人として証言したこともありますので、割と冷静に聴けてしまいました。
経営関係はモロにお金が絡んでくるので、もっとえげつないです。最初のうちは吐きそうになりました。訴訟で判決が出ても何一つ真実など分からない(どちらかに都合のいい事実が残るだけです)ですし、まして事態が良くなるなんて事はなく、ますます溝が深まるばかりです。
原告側も被告側もそれは分かっていると思うので、今は和解のタイミングを探りながらジャブの撃ち合いをしているところと見ています。たぶん次回くらいで争点整理が終わって、証拠調べを何回かして、来年後半〜終わりくらいに和解の話が出てくると思いますよ。