お決まりの日々?

モモの節句でございます。

偽善者の群れ

心に体に障碍を持つ方々の手による製品を売っている店が、
通学ルートにできたので、閉店に間に合えば立ち寄っていた。

先月、今月と、その駅を使う用事があったので、懐かしさもあって寄ってみた。
ずらりと並んだ品物に、一つ一つを言われたとおりに真面目に、
手抜きなど考えず、ただただ真剣に、ゆっくりと作っている人たちの気持ちを感じる。

先月には決断がつかなかったものが残っていれば、今日買うつもりだった、
もうしばらくこの駅に用事があるとは思えなかったから。
使う予定のないものは(捨てることになったら悲しいので)買わないけれど、
使えるものはなるべく買っておこうと思った。

中学校のときは美術部で、
学校外も対象にしたバザーでは、パンネンドのアクセサリーなどを作って出していた。
手にとってもらえるように、色あわせや作り方など、何度も考え、
長く使ってもらいたい気持ちで台座も工夫して、いくつも試作した。
売りあげは学校に寄付するので、クラブが潤うことはないし、失敗作を考えたら、
原価割れしていたようにも思うのだが、それでも自分が作ったアクセサリーに、
いい値段が付けられ、売れていくのが嬉しかった。

その体験があるからだろうか、これらの作品の向こうには、
かつての自分のように、バカ正直に作っている人の姿が透けて見えるような気がする。
作り手の体温を感じる品物は、買うことも所有することも喜びとなる。

人件費が安い外国で、大量生産されたものを安く買うより、
ちょっと高くても、後々気持ちが残るような、
壊れたときには修理してでも使いたくなる、実直さに溢れているものがいいじゃないか。

「カワイソウな人たち」が頑張ったのね~、買って「あげる」わ、という気持ちが
動くと悲しいし、入手した品に悲しみの気持ちが付きまとって嫌なので、
100均や300均、500均で、値段が値段だし、外国製だから仕方ないね、
と容認するレベルより厳しくチェックを入れる。
「障碍を持った人たちの手によるものだから仕方ない」じゃなくて、
「いいものだから買った」「便利だから買った」「欲しかったから買った」が
まず出てこないと、
「“慈悲深い人”に思われたかったかったみっともない自分」
を強烈に思い出す、というマイナスの付加価値がそのお品に張り付いて、
後々嫌な気持ちになってしまう。作った方にも申し訳ない。

この話題で話したことはないが、
口や足で描かれた絵を用いてカレンダーや絵葉書の形で贈ってくれた伯母も、
同じような気持ちなのだと思う。
素敵だから、買う。
そして、それを買えるだけの余裕が自分に与えられていることに感謝して買う。

取り繕うとしても、やはりそれは偽善でしかないわけだけれど、
しない偽善よりする偽善、
そして、いいことをしてあげたわ、フンッと鼻息荒くその瞬間に偉ぶれる偽善より、
いいものが手に入ってよかった、作った人の励みにもなれたら嬉しいなあと、
ほっこり長く自分が嬉しくなれる偽善の方が、私好みだ。

さて、本日買い物をした店だが、駅ナカショップ、しかも改札近くという
立地条件にも関わらず、立ち寄る客は、先月に続いて少なかった。
不景気も手伝い、売れゆきも以前より悪そうだ。
先月決断できなかったものは残っていた。
なるべく多くを買っておこう、と、閉店間際の音楽がなるまで選んだ。

レジも障碍を持った方が担当する。
私はかごに品物をいっぱい入れてしまったので、取り出しにくそうである。
すっと、施設の職員さんだろうかが、かごを彼女の方に引き寄せ、
さりげなくかごから品物をとりだし、彼の手元近くにゆっくりと、
バーコードが上に向くように置く。彼が品物を取り上げ読み取りかけると、
そのテンポにあわせて次の品物の用意をする。そこに言葉はなかった。
そのことがかえって、静かでとても美しい調和と思わせた。

彼はトレイに乗せた代金を大事そうに受け取った。
言葉は不明瞭なところはあるけれど、何度も練習したのであろう誠実さで、
おつりを正しく渡そうする心も見えた。
職員さんは、やはり静かに、その様子を見守っている。
社会に関わっているという実感を全身で得ている彼の邪魔をしたくないという
思いのように見えた。

私の知人の息子さんは授産施設に通っている。
公園や施設の掃除の仕事などで施設の外に出ることが、
つまり、見慣れた人たちだけでない「社会」にでるのが、
さらに、そこで自分が仕事ができるというのが嬉しくて、
外での仕事の日はいつもにまして、落ち着かないのだという。
自分は家族や社会のお荷物なのではない、
家族以外の誰かの役に立てている、誰かの喜びになっていると実感でき、
笑顔やお礼や報酬がかえってくる、という純粋な喜びは、
くれるものは何でももらう、というひねくれや、あさましさと対極的だと思う。

くりかえすが、丁寧な仕事による作品は、気持ちがいいものだ。
さらに、自分の購買行動が、誰かの励みになっていると妄想できると心も弾む。
空間を満たす重苦しさまで感じさせる実直さに、
私も私のできる仕事をまじめにしようと、背筋を正された気持ちがしたし、
静かにゆっくりと流れる時間は心地よいものだった。

こういうものはインターネット通販じゃなくて、対面販売がいい。
作例の一部という小さな画像を見るだけでは、
たとえば多種のサイズを揃えている袋物だったら、どれが一番しっくりするか分かりにくいし、
バックの色合いも分からない。
なにより、糸の始末など、彼等の丁寧な仕事ぶりもわからない。
木のおもちゃを触れば、自然を生かしたシンプルなもので木の触感を保ちつつ、
子どもが怪我をしないように、丁寧に表面が磨かれているので、
どことなくぬくくて気持ちいい。これも触らなければ分からない。
値段の差もあるから単純比較はできないが、100均のおもちゃとは比べ物にならない。
それでいて、ブランドといわれる品よりはずっと安い。

いい物を作っているのだから、もっとアピールすればいいのに、と思う。
(100均よりは高いでしょうが、長く使いたくなる、長持ちするなど、
 安さを超える価値はある)

私の通いやすいところにあれば、北海道から沖縄まで、施設で作られた食品、
昆布や乾物、お菓子だけでも、定期的に買いに来るのに。
キラキラスワロスキーバレッタは、自分で材料を買ってあまらせるのを考えたら、
購入したくなる価格なんだけれど、色鮮やか過ぎてオフィスで使いにくいので、
黒スワロ一色、とか、地味目ラインも作って欲しい。

帰りの電車の中で、購入した皮のキーケースに、今使っているものから移しかえた。
これはガラスケースに収められていたもので、他のものより高かった。
手の中にしっくりと馴染んだ。求めていたサイズで、
買って良かったとしみじみした。


タイトルに「群れ」がついていたのは、
「アンリ ルネ ルノルマンの流浪者の群れは 語呂が悪いので
 アンリ ルネ ルノルマンの落伍者の群れと 言い改めねばならない。」
という早口言葉を思い出したからで、さしたる意味はありません。


購入して三日後に、
買ってよかったと思える品と、勢いに乗せられちゃったなと思う品とに別れる。
「今買っておかなきゃ」の思い込み魔法が切れた、とでもいうか。
今回のものに関しては、昆布類買い過ぎた!?と思うぐらいで、概ね満足。
勢いも楽しいので否定はしないが、勢いだけだとコストパフォーマンスの面で、
苦しいものもあることは事実。文具などは楽しいので勢いに乗るけど、
着てみたらイマイチだった洋服やアクセサリーは捨てるのも悔しいしで難しい。

いい買い物をしたと思う。

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

*Trackback

トラックバックURL
http://okimari.blog26.fc2.com/tb.php/3003-14e29ccf

Menu

プロフィール

たまり(ょ)

Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

何となくの傾向インデックス
・「某Oさん」や「花柄の君さま」などと表記させていただいている声優さんのファンなので御出演作♪
『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
・『電王』以降のスーパーヒーロータイム
宝塚歌劇感想
・他ドラマなど
・医療破壊に関しては涅槃の境地にいけたらイイナ♪
リンク先=『麻生太郎オフィシャルサイト』さんスキー♪

チベットを知るために-人権問題(ダライラマ法王日本代表部事務所)

最近の記事

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カウンター

QLOOKアクセス解析

ブログ内検索

月別アーカイブ

なかのひと。