お決まりの日々?

モモの節句でございます。

花『虞美人』

「たいへん、壮ちゃん(の役)が賢そうに見える!」
幕間に言い出した私でしたが、
変なのはお前の頭だ、と優しい先輩はつっこまれませんでした。


昨日11時からの、
花組大劇場公演『虞美人』を見てきました。

他人の話を聞きすぎると、己の行動の枷になる。
話を聞かないと一人よがりになり、命を失うことにつながるけれど、
聞きすぎても自分の心を殺すことになる、
という話だと思いました。

長くなったので、まとめてみたら短すぎた。

以下長いよ!なだらだら感想。
(注:私はキムシンが苦手です。今回はキムシン作にしては良かったけれど、 
 それでも不快に思った部分はあるので、辛口気味だと思います)

冒頭のご臨終シーンが特に印象に残らずに過ぎ去り、
お話が動き出せば

・生々しい。
・血なまぐさい。
・死体強調、屍累々。
やっぱりキムシンだ\(^o^)/
(AAの選択に、意図はあります……すみません)

『項羽と劉邦』といえば、中学生の時に司馬さんの本を読んだのと、
漢文でかじった位。はるか昔で記憶が乏しいのですが、
私はダントツ項羽さん派だったことは覚えています。

が、
この『虞美人』では劉邦がイイ!
演じている人のファンだから? 彼女のいい面が良く出ていると思いますが、
ゴーイングマイウェイで感情のままに、当然空気も読まず突き進む項羽が怖すぎるんだもん。

こいつは気に食わないと項羽が思った瞬間、
ワンパターンのやりかたで対象は死体に変えられている、首切り項羽。
他人の話は聞かない。軍司さんだって、命がけで忠言したぐらいで、
他は意見も言えない。
彼の行動に、周囲はため息を漏らすばかり。
彼が進んだ後は、死体と恨みが累々と築かれる。
血しぶきが見えるような、血なまぐささを感じます。

項羽の強さは、獣の強さ。
子供みたいな心に、凶器の強さ。
せめて少年の心をもった、と表現できればいいのだけれど、
もっと幼い、自制心のない、嫌と思えば両手を振り回す子供のイメージ。
その両手に刃先がするどい太刀が握られているから、遠巻きにするしかない。
聞く耳を持たない、知らないゆえの強さだと思ったりもします。

劉邦の強さは、偉ぶらず、周囲の意見に冷静に耳を傾け、
他人の優れているところはニュートラルに評価できること。
彼の周りにいれ、己の存在を肯定してもらえる心地よさで満たされる。
気持ちいいから人は集まる。
行列ができているお店は良さそうに思える心理で、
評判を聞きつけた人も、彼にくっついていたらいいことがあるかも、と
軽い気持ちで集まってきて大所帯になるけれど、利権目当てで群がっているから、
情勢が変われば波が引くように去ってしまう。

劉邦は項羽のすごさも冷静に評価し、
とても適わない大武人であるという気持ちから項羽を「覇王」と呼び、
武人としては項羽にはるかに劣る自分が、両雄と並び立てられいるのは、
周りの人の助けがあってこそであることも分かりすぎていた。
他人の力を正しく評価できすぎたゆえに、彼は、彼を祭り上げる力ある人たちを敵に回せない。
(文官にあやつられている王だと項羽が腹を立てた、お飾り王とこの点は同じで、
 お飾り王は、項羽の望むように動かなかったので、腹を立てた項羽にあっけなく
(張良の策もあったが)殺されたのだった)

劉邦は己の心の欲するままに生きられない。
周囲の自分への期待を裏切ることは己の身の破滅を意味する。
范増が、軍師としての自分がいない項羽は、丸裸と同じ、というようなことを
言ったけれど、丸裸でも強い武人項羽と違って、劉邦自身としては無力だから、
劉邦は生き残るためには、勝つしかなく、
そのためには張良らの言うままにするしかないので、劉邦は自分の心を潰した。

項羽が自分の感情を第一にしたのに対し、劉邦は周りの強者の感情を第一にした。
項羽の命は短くても、心のままに生きたゆえ、最後まで幸せであったと断言できたど、
自分の心を殺して生き延びた劉邦の心が幸せとは、とても見えなかったし、
皇帝となった劉邦は、そのきらびやかな装いに反して沈んでおり、
虞美人が自害した場所に赤い花が咲いている(虞美人草)と報告を受け、
そこに項羽のなきがらを埋めるように、と命令を下すのがやっとの様子で、
この人は生きながらに死んでいると思った。

劉邦は、正々堂々と美学を貫いても勝てる力がある
「私には羽がある」英雄項羽の、お前もこっちにこい、という誘いに乗って、
己の心の望むままにこの世を駆けぬけたいと、飛びたいと思っていただろうに、
彼には羽がなかった。(あるにはあるのだけれど、小さかった)
傍に、「羽がある」英雄であるゆえ、己の心に忠実に生きることを許されている
韓信という存在があるから、彼の自由さに心辛かったのだと思う。
本当なら、正々堂々と、美学を貫きたいと願う自分の心を押し殺して、
生き残るために他者に指し示された道を選ぶしかない苦痛を私は感じた。

虞美人といる時以外は、眉間に皺を寄せている暗いイメージの項羽と違い、
人前ではにやにやへらへらしている陽性なえりたん劉邦だからこそ、
苦痛の表情が後を引く。(えりたんだから重くないのも、見る側に優しい)
そしてまとぶん項羽は見ているのがしんどくなるぐらいに、
怒り猛っている描写が多いので(さすがタカラジェンヌで美しいのだけれど)、
虞美人とつかまえちゃうぞ、うふふ、あはは、がおーのデレデレ面と、
己に比すほどの大人物だと見込んだ劉邦に、何度もこっちに来て遊ぼうよ、と
遊び相手を求めている子供のような表情が印象に残るという……。
それにしても、絵に書いたような(記号的な)バカップルの描写だった。
キムシン作には、記号的な描写が多くて、
「(僕と違って)お馬鹿な皆さんでもわかるようにしてあげました、
 僕って親切でしょ」と押し付けと、単略さを美しくないなーと感じてしまうのも、
私が彼の作品を苦手に思う理由の一つ。


この話の前半を動かしているのは、張良さんと范増さん。
第一幕での私的メインシーンは、剣舞披露de劉邦暗殺を図る范増さんと、
そうはさせじと命がけで劉邦を守ろうとする張良さんで、
このときの張良さんは実に生き生きとして(彼比較)、口からでまかせを言う姿も堂々としている。

しかし、第二幕で范増さんが張良さんに嵌められて、舞台から去り、この世からも去ったあとは、
張良さんは心があることを感じさせない冷たさで、悪魔的に話を動かす。

張良さんが熱さ(彼比較)を見せなくなったのは、
自らが策をはって舞台から追い落とした范増さんに、
命だけは長えてほしい、と助け舟を出したところ、彼の手をとるよりも死を選ばれてから。
張良は范増を好敵手と思い、このたびは自分が勝利であるが、
また力を蓄えてもらって、別の場所で闘いたい、彼との勝負を続けたい、と
願っていたのに対して、范増はそうではなくなっていたこと。

一幕の「英雄には英雄が分かる」と韓信を評価しあっていたころは、
二人は似たもの同志だった。
自分の思いのままに他人をコマとして動かし、それにつれて世の中が変わる様に、
自分はハイレベルな選ばれた人間であることを確認することを喜びとしていた。

しかし、項羽側、劉邦側と分かれた後は、
正攻法のみを良しとする項羽の「正しい」強さに范増も魅了されてしまったのか、
汚い策で、己の手を汚さず相手を破滅に追い込む張良は、
范増の競い合いたい相手ではなくなっていたのだろうなあと勝手に思う。

唯一認めた相手に、お前なんかの相手になるぐらいなら死ぬ方がずっといい、
と拒絶されて、
それまで他人に心を動かしたことのほとんどない様子の張良は、
遅くきた初恋を踏みにじられた、
運命と信じた人に汚い手をのけろよ、と言い捨てられたような衝撃を受け、
ハートブレイクしちゃったのでしょう(私見)。

そうなれば、自分を保つためには、
好敵手は認めてくれなかったけれど、
自分のやり方は軍師としてこれまでも間違っていなかったことを証明するために、
なんとしても項羽を倒さねばならない。
自分の正しさを示さないと、ライバルに侮蔑された衝撃に耐えられない。

しかし、軍師を失ったとは言え、武人としての項羽の力と影響力は凄まじく、
勝つためには自軍の将軍劉邦に、張良の思うままに動いてもらわねばならない。
前半ではかわいいなあと目を細めているような描写もあった劉邦に対しても、
范増の死後は容赦ない態度になってしまったのだと思う。
(張良は、劉邦のことを気に入っていたと思うけれど、
 好敵手から「この下種め」と侮蔑されたように感じ、追い詰められて、
 劉邦の心に遊びを与える余裕がなくなったのだと、思い……たい。まっつさんだから?)

他人の話に耳を傾け、
その人物のなしてきたことを客観的に見る才能がある劉邦であるからこそ、
張良の底知れない怖さに、良心の存在を感じさせないのも悪魔的な怖さに、
敵に回したくないと恐怖を抱き、いいなりになった。

張良は、手のひらを動かす気軽さで、自分の手も汚さず、
口先三寸で簡単に人を破滅させる。

「義兄弟の契りを前面にだして、休戦とした項羽との約束を、
 私(張良)の言うように、反故にして、後ろから切りかかり、
 まただまし討ちかと項羽を失望させるのと、
 項羽の約束を大事にして、私と韓信を失望させるのと、
 どちらかを決めるのはあなたですよ」
と言われて、心のままに項羽を選べるほど、劉邦の心は自由ではなかった。
項羽に劣る自分が、ここまで来れたのは、張良に助けられたゆえ。
張良の省エネ策の恐ろしいまでの効果を、それによっていともたやすく破滅させられた人々の姿を
充分すぎるほどに知ってしまった。
・勝利の象徴である(と范増も思っている)韓信を、陣営に引き込むことで
 心理的に優位に立つ。
・子供にわらべ歌を歌わせたら、項羽は里帰りしたいと都を空けてしまった。
・一人の使者を最初は「范増先生の使いですか!」と大歓待し、
 その後「なんだ項羽の使いかよ」と冷たく追い払えば、范増の敵と通じていると疑惑をもたれ、
 范増は追い出された。

使いを送ったと疑惑をもたれれば、陣から去るしかなかった范増と違い、
張良は劉邦の軍師なのに、項羽陣営もフリーパス。
項羽が、死体の数だけ恨みも量産しており、
死体にくっついていた人たちが自分に従うなら家来にするよシステムは穴だらけで、
密通者の暗殺を企てる人たちの温床になっていたから、
張良を手引きする人には困らなかったといえども、ナチュラルに行き来しすぎる。
結婚後実家にふらっと立ち寄る子供のようにフリーパス。
そしてどこへでも現れる神出鬼没ぶり。
この様子を先輩は「トートみたい」と表現したけれど、
私としては霧矢ルキーニ(エリザベート:麻子さんシシィバージョン)だ。
霧矢さんが、ルキーニこそが物語を操っている(トートを動かしている)と思って
演じているいうようなことを語られていましたが、
『虞美人』の物語は張良が動かしていて、裏主役と呼びたい。
またまっつさんは良い声質の持ち主で、そこもこの作品のよさになっていると思う。

先輩と話しながらの帰り道、やりくりに苦労している宝塚歌劇団は、
『虞美人』も当然再演するだろうという話になって、
項羽役者、劉邦役者は思いついても、張良役者が出てこなかった。

敵陣にもすーっと入り込み、当然のようにいる存在感のなさが悪魔的。
まっつさんだから成功したような感じがします。
出てきただけで、人目を引いてしまうハマコさんとか、
陽のオーラが漂いまくっているしいちゃんでは、目立ちすぎて無理無理。
いい意味での存在感のなさ、そっと忍び込むような不気味さを演じられる
まっつさんは貴重なジェンヌさんだと思います。
(ケロさん張良が見たいと思ったあたりがビョーキ)


長々書かせるほどに張良も魅力的だけれど、私はえりたんスキーなので、
劉邦についてもう少し。

自分が愛していると思っていた人間から引き離され、一人ぼっちになった時に、
自分は誰も愛していなかったことに気づき、
そして、あふれ出す熱情のままに行動する項羽を、鮮烈に思い出し、
己のなんにもなさに絶望したと崩れる劉邦に、自己分析できる人の強さを感じました。

自覚があるのとないのでは危険度が違う。
挫折を乗り越えた人間は強い、というのはそういうことでしょう。
モテモテの自分が好き、と気づき、自己弁護することなく、真摯に落ち込める。
それは素晴らしい才能だと思います。

自分の心に情熱がないことに絶望している彼を救ったのが、
彼に心を寄せる女性の存在が心に染みたこと。
その後、愛していなかったと分かった妻をないがしろに、
愛人をひいきしちゃったよ~、という説明も、
あーもーしょーがないなー、この人タラシがっ!(褒め言葉?)と思いましたが、
それは、項羽と劉邦の最初の出会いから変わっていない。

お飾り王を据えて好き勝手にしている文官に怒りをぶつけた項羽の暴力に、
クライマックスに緊張した場の空気を、朗らかな笑い声で破ってしまう劉邦は、
項羽に、あんたはすごい、義兄弟になって欲しい、とお願いさせてしまう劉邦は、
天性の人タラシです。
だからこそ、あの冷静な張良が、いくら見込みがあるコマであるとはいえ、
頭のレベルでは格下どころではない劉邦の快活な大胆さを認め、
剣舞de暗殺から命がけで守ってくれたのでしょう。
(このときの張良さんはライバルを出し抜く喜び以上のものを感じているようで、
 生き生きしている)

劉邦は項羽も正しく理解していたからこそ、項羽にずーっとくっつき、
身も心も捧げたという虞美人の間違えた選択も、当然のように正しくした。


己の心の望むままに生きて、身を滅ぼした項羽と
周りの期待に己の心を殺して、天寿を全うするまで生き延びた劉邦と
この舞台から感じましたが、それぞれの妻も(記号として)対照的だった。

己のふるさとは初夜の後から、夫の胸のなかだけであり、
夫に疑われることは死と同じと、
全ての基準を夫に置き、夫第一に生きようとした
(しかし、ラストの選択は間違いではないかと私は思う)虞美人と、
夫は、皇帝の妻と呼ばれたいという己の欲望を具現化するための道具であり、
己の欲望に忠実にかなえるために生きた呂妃、
この二人の対決もあるにはあるのだけれど、
「愛するということは生きることと同じで少しずつ死んでいくこと」
と持論を述べる虞美人と、意味不明と笑い飛ばす呂妃では、交わらない。

正直者が馬鹿を見る、と、わざわざ「馬」と「鹿」の文字を書いた布を、
客席にいるものは馬鹿である、といわんばかりにかざすシーンをカットしても、
タイトルロールでもあるのだから、虞美人と呂妃はしっかり描いて欲しかったと思う。
今のままでは、
虞美人=男にとって(都合が)イイ女、呂妃=男を操るイヤラシイ女、の記号としか
私には思えない。男役が主役の宝塚歌劇といえども、タイトルロールなんだからもうちょっと、
描きようはあるんじゃないかい、と残念に思う。
(キムシンに期待するのが間違いか。御大とかの娘役軽視っぷりに比べれば、
 マシといえばマシなのかもしれないけれど、キムシンの場合は男尊女卑が顕著に見えるから
 不快なんだよなあ)

虞美人は、夫が武人として生きるのに自分は足手まといであると判断し、
彼の目の前で自害することに加え、
あなたに疑われたら生きていけないのだと彼女の彼への忠誠を改めて口にして、
彼女の愛の行動としたけれど、項羽の願いはそうではなかった。
項羽の望みは、死ぬまで虞美人にくっついていることだった、
幼い子供が母親から離れようとしないようにと理解していたからこそ、
その望みを亡骸であっても叶えようとした劉邦の人を見抜く力はすげえや、と
思わされました。
誰も愛したことがない、愛せないと己を嘆いた劉邦だけれど、
「これぞ愛である」とする、彼の愛の定義が高すぎて、
一般的に見れば、項羽のことを愛していた(ホモセクシャルという意味じゃなくて、
 人として)と言えるほどには、心をかけていたと思う。
彼の感情は、項羽の行動に対して動いていたもの。

『虞美人』で破れてボロボロになったあと、
(女に手を差し出され、抱きかかえられて)挫折を乗り越える劉邦の姿に、
とくに女が絡むところで、石田先生作の『青い鳥を探して』だったかな、
(2013年6月3日追記:正塚先生の『ロマンス・ド・パリ』にこのシーンがありました。
 冒頭を録画し損ねて観ていたのだけれど、このシーンだけでも保存しておけばよかった)
当時のトップスターの朝海ひかるさんのお兄さん役を演じた姿が思い出された。
悪巧み(?)が露見して会社がつぶれ、がっくりと膝をついたところに、
白羽ゆりさん演じる妻がとことこと出てきて、彼を抱きかかえ、
大丈夫、ここからまた始めればいいわよ、愛しているわと励ますと、
あの大きな目にキラーンと擬音が聞こえそうな勢いで輝きが戻るというシーン。

今回もなんてお手軽に浮上するのかしら!
がっくりと(なで)肩を落とし、膝を付いても、
女性に抱えられて舞台袖に引っ込んだと思えば、シャキーンと復活。
重苦~しくなやみすぎないえりたんのヘタレ役(役ですよ、役!)、
な~んも考えていないように見える軽さ(役!)は、物語の救いと言うか、
えりたん演じるヘタレ役が挫折しても、どうせすぐに立ち直るからと客席は安心して
見ていられるというか……。
とにもかくにも安心の挫折役者、えりたんバンザイ!
(まとぶん項羽に悩まれた日には、重くて数日は引きづること確定)

そういえば、えりたんの中国武将扮装はといえば、
いまだに主題家が歌えてしまうほど
印象的な酒井先生作『愛燃える』の新人公演で、
組替直後に主役(呉王夫差)を演じた姿に似合っている!と喜んだ記憶があります。
夫差も赤い鎧、劉邦も赤い鎧だからかなあ。
パンフを引っ張り出して、自分を暗殺するために送り込まれた姫の正体に気づきながらも、
彼女を愛してしまった夫差と、思いを寄せる武官にいわれるままに敵陣に乗り込んだものの、
夫差の優しさに心ほだされてしまって、揺れる西施、二人の燃えるような愛と、
本当に燃えちゃうラストを思い出しました。
『虞美人』の項羽と虞美人は、子供と聖母みたいだから、物足らないといえば物足らない。

感情の葛藤はあまり描かれなくても、
肉体の絡みは生々しく押し出すのがキムシン。

桃姫の受け続けた辱めを、少なくても4回、具体的に繰り返し説明する必要はあるのだろうか。
イヤよイヤよも好きのうち、なんて嘘。
痴漢でもあんなに嫌なんだよ。それが続けば心は壊れる。
王の娘で箱入り環境にあった娘が、毎晩毎晩行為を執拗に強要されて、
よく妊娠しなかったものだ、というより、その兆候があれば、
彼女に項羽を暗殺させてその地位をのっとろうという野心を抱いていた男に、
腹を蹴られるなどの方法で、堕胎させられていたと考えるのが自然だろう。
彼女に父のあだ討ちをしたいという目的と(それゆえ陵辱され続けることに耐えたのだから)、
彼女の恩人である韓信を救いたいという目的ができたから、心を保てた。
項羽を殺すことをあの張良に止められてしまったが、韓信を救いだす目的を与えられ、
それまで命を長らえさせたが、達成できたと実感した後に彼女は自害していたと思う。
韓信からの思いもよらぬ愛の告白。それを受ける資格がない、
私は穢れていると、全てを打ち明けた後も、
それがどうした、それでも私はあなたが好きだ、
と韓信が変わらず彼女を全面肯定したから、彼女の心も命も救われた。
しばらくは忌まわしい記憶にさいなまれる日が、
それゆえ今は好きだといってくれる韓信の心変わりにおびえる日が続くだろうが、
それまでの説明で韓信は大人物である、と観客は分かっているから、
彼女の未来は明るいものになるだろうと安心できる。

しかし、彼女の悲惨なエピソードを強調することで、
それをマイナスにせずに受け入れた韓信には本物を見抜く眼力があります、
という説明の一つになっていたように思えるのは、
彼女の苦痛を記号として利用されたようで、気持ち悪い。
観客は女性が多いのだから、生理的に不快な表現は避けて欲しい。

私は冒頭に書いた理由でキムシン作品が生理的に苦手なのですが、
例外的にえりたんが出ている『スサノヲ』『黒蜥蜴』『オグリ』『虞美人』と、
きりやんアントニウスの『暁のローマ』、ハマコ神父の『君を愛してる』は、
もう一度見てもいい、と思わせられる作品でした。
彼女達の陽性の気が、私にとってはなんとも陰惨で生々しくてえげつない
キムシン臭を中和してくれているのかもしれませ。
ハッタリ多用のキムシンにとって、目でハッタリを聞かせることができる
えりたんは使いやすい役者さんゆえ、いい役が回ってくるのかな?


観劇から一日たった今日が大劇場楽。
タイトルロールを演じた桜乃彩音さんは、今公演で卒業です。
『二都物語』で麻子さんの相手役をしてくれて、
『ファントム』でオサさんエリックを、母のように包んでくれた彼女に、
感謝しています。
トップ娘役としての大劇場公演で、演じた女性が聖母であったことに、
一回りして元に戻った、原点回帰だ、完結していると、先輩と話をしました。

気の強い現代的な役も似合っていたけれど、包容力のあるいい娘役さんだと思います。
お飾りにされることが多い主演娘役だけれど、タイトルロールを二回演じたし、
大きなポジションをもらうことが多かったけれど、それがちっとも嫌じゃなかった。

主演娘役って大事で、苦手な人だった場合、
主演男役が大好き!な場合は、我慢して一回は見ても、
二回目はいいか、と思ったり、結構好きなレベルでは見なかったりと、
少なくても私と先輩の財布の紐は影響されます。
水しゃんファンの先輩に、サヨナラ公演はもういい、と言わせるほどに。
(ちなみに私は、白羽さん退団後の雪組公演は一度も観にいっていないので、
 感想も書いていません。ハマコさん退団公演も足が向かなかったよう、
 御大のせいもあるけど)

サヨナラショーでも桜乃さんのの演じてきたさまざまな、
魅力的な女性を思い出させてくれるのでしょう。
東京公演で宝塚生活最後の花を満開にしてきてください。

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

*Trackback

トラックバックURL
http://okimari.blog26.fc2.com/tb.php/3038-b393a1df

Menu

プロフィール

たまり(ょ)

Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

何となくの傾向インデックス
・「某Oさん」や「花柄の君さま」などと表記させていただいている声優さんのファンなので御出演作♪
『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
・『電王』以降のスーパーヒーロータイム
宝塚歌劇感想
・他ドラマなど
・医療破壊に関しては涅槃の境地にいけたらイイナ♪
リンク先=『麻生太郎オフィシャルサイト』さんスキー♪

チベットを知るために-人権問題(ダライラマ法王日本代表部事務所)

最近の記事

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

カウンター

QLOOKアクセス解析

ブログ内検索

月別アーカイブ

なかのひと。