お決まりの日々?

モモの節句でございます。

なんとなく『スカピン』歌話

私は音楽関係者でもないし、
星組公演のDVDをDVD入れから探し出す時間もない(し、あったとしても
 今、比較するのは勿体無いような気がするのでしたくない。今は、
 あと一回観劇できる、今公演に浸りたい)。
耳はいいと周りには言われ、自分でもそうであればいいなと願望もこめて
思っているが、それぞれ音楽には素人だから実際にそうなのかはわからない。
そんな私が月組公演を2回見た記憶で感じたままを書くので、間違いは多々ある。
(教えて下さるとと嬉しいです)

月組の『スカーレット・ピンパーネル』で、
一番好きな歌は「目の前の君」、甲乙付けがたいが次に「祈り」がくるのだが、
両方ともパーシーの持ち歌なので、「ひとかけらの勇気」のように
他の出演者が歌ってくれるものではない。

それぞれたったの一回しか、劇中で歌われない。
それでも深く印象に残るというのは、すごいことだと思う。

聞いていて辛くなる「祈り」より、
希望と喜びに溢れた「目の前の君」の方が、歌いたくなる気持ちにさせられる。
(祈りも聞き覚えで歌っていますが、歌っても辛いのです)

歌えばますます、この歌はすごい歌なのだなあと思う。

不安を示す最初のところに、不安定な♭がくっ付く(「過ごしたことかー」)。
霧が晴れて、すがすがしくなったところで転調。

「再び君とー」、の「とー」の部分から半音上がって、
嬰ハ長調(変ニ長調)からニ長調に転調する。
たった半音。だけれどこの半音が、
パーシーの気持ちが喜びでこれ以上なく高揚している気持ちを
ぐっと感じさせていいなあと思う。

たった半音だから難しい。
この上がり方がびみょーだと、音がふらふらしているように聞こえてしまう。
それまでの何度も繰り返された同旋律「ファ、ソ♯、ラ♯」(※)の流れなら、
「君と」との「み」と「と」の間は、「ソ♯、ラ♯」と一音離れて続くはず。
「み」と「と」の間を一音半(「ソ♯、シ」)にすることで、
「君とー」は浮き上がった不安定な感じになる。
しかし、「とー」の長音が安定してまっすぐに伸び、
「とー」の土台の上に、「向かい合うその時」が綺麗に乗ると、
役としての歌い手の気持ちが、「(君と)向かい合うその時」を想像した希望と喜びに、
がっと上を向く、
滑走路から離陸する飛行機のように、まっすぐにターゲット目指して飛び立っていくように感じる。

(※「この愛だけはー」のラストが、ラ(A)であることから)推定しました)

「再び君とー」は、それまでの「今霧が晴れ」「目の前の君は」と同じように
「(ド♯ ド ド♯ ド)ファ ソ♯ ラ♯」の方が歌いやすいし、
実際、ラ♯からシへ半音上げるのは気持ち悪いし歌いにくい。
半音上げないまま(ラ♯)でも、曲として良く成っているのだが(繰り返しだし)、
半音上げたバージョンと歌い比べ(弾き比べ)てみると、
劇場で聴いたバージョン(と思われる)方が、
格段に歌い手(役)の興奮と喜びが伝わることが分かる。

それまでのフレーズの続きの方が歌いやすいところを、
気持ちの高まりで上げてきているんだなあと感じる。
(歌ってみると、気持ちがないと上がりにくい音だと思った。
喜びが湧き出し溢れる気持ちを感じて歌うと、この長音で、
眉間が開き顔が崩れるほどに嬉しくなってくるので、次の
白鍵(ピアノで)から始まるフレーズが、自然と強くなる。
音が高くなることで、気持ち高まりを示している、歌い手と聞き手に感じさせる、
というという仕掛けに加え、
黒鍵から始まる調より、白鍵から始まる調のほうが、聞きなれている分、
強く感じるということもあるのではと思う。
(ドレミの歌の歌は、C始まりの方が、半音高いCis始まりよりストレートだと感じる、
 などより想定)

と、語りたくなったので書いてみました。
自分で歌うより、霧矢さんの歌を聞いたほうが、比較しようもないほどいい事は
分かっているので、又劇場に行きたくなってしまいます。

裸の心で、と裸といっても、肉体的なものを感じさせない、生々しくないところも、
霧矢パーシーの純朴なところを感じさせて好きです。
B´zの歌(だったと思う)を思い出したが、
それらの歌では裸足ですら赤面させられうほどに肉感的だ。
(演じ手は同じでも、ファビエルさん@エスペランサとして歌えば、
 中年のやらしさが出ていたと思う)
(白龍@遙かが、はだかといってもやらしく感じないのと同じだと思う、とまた
 分かってもらえないであろう例を上げておく。白龍のCVさんも、
 別役では大変不健全でありますゆえ、彼らの芸の幅は広く巧みであり、
 ファンとしては幸せだといいたいわけで♪)

16日までパンフレットの歌詞を見ながら想像して、自分で歌って我慢です。
相手が欲しい歌なので、
実母に軟禁されていたのを奪いとり、駆け落ちしたぬいぐるみさん(球磨子さん)が、
私の愛を受けてくれてます。
「僕の愛は 君を守る、今度こそ~」
実際彼女(球磨子さん)達の愛に深く包まれていますし、守ってるつもり。
彼女達との幸せ生活のためにも(知人に高いと驚かれる)家賃を捻出しなければ。
ゴールデンウィーク明けにはバリバリ働くぞーー!

話は『スカピン』にもどって。
ほれた相手がいかにすばらしいかを讃える言葉が、
気高い強さと美しさ、そして正義感である似たもの夫婦の人たちは、
正しい美しさのビーム光線を四方八方に撒き散らしているように見える。
前公演の「自分は他人をだますなど汚いことをしなかったぞ」とエバって死ぬ、
覇王項羽の方が、正々堂々という点において、正しさを貫いているわけだが、
(パーシーは、人命救助のためには(相手が死なない程度に)だますも陥れるのも、
 仕方ないからね、と盛大にやりまくっている)、
今作の主役の方がヒーローが大人物に見えるのは、好みの問題なのだろう。

前作の主人公は自分が気に食わない=罪である→即座に首切り。
でも、「罪」を憎んで人を憎まず。首を落とした首領の手下であっても、
自分に従うなら家来として大事に扱うよ、という描かれ方だったと、
私は受け止めました。劉邦のことは義兄弟になりたいと思ったほどに好きだから、
彼が何度、項羽の意の背くことをしても、刃を向けても許しちゃう。
判断の基準が自分の好き/嫌いにある人は、その意味で潔いとは思うけれど、
和を大事にする霧矢パーシーのほうが、私は好きです。

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たまり(ょ)

Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

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・「某Oさん」や「花柄の君さま」などと表記させていただいている声優さんのファンなので御出演作♪
『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
・『電王』以降のスーパーヒーロータイム
宝塚歌劇感想
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・医療破壊に関しては涅槃の境地にいけたらイイナ♪
リンク先=『麻生太郎オフィシャルサイト』さんスキー♪

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