お決まりの日々?

モモの節句でございます。

「テレビは医者を嫌ってない」 真々田弘(その1)

 個人的な冬休みの宿題、その2(未完)です。
 当初は、資料的なことを考えて、提示するだけにしようと思っていました。
 現物は、あまりの一方的な自己正当化論、「イシャガー」に、消えない筆記具で突っ込み入れてしまったので、画像で紹介するのがためらわれました。
 しかし、テレビ悪くない、テレビは皆さまの見方、医者の努力が足りないせい、イシャガーイシャガーに耐えきれず、全文紹介ののち、「~」と真々田氏は書くが、と評する気力もなく、引用タグでくくった☆以下に突っ込みを書きいれてます。

 載っていた媒体は、「月刊保団連 2010・10 通巻1045号」です(14~19ページ)。
(この雑誌のスタンスは知りません。某クリニックから貰ってきました)

 かなりの長さなので、私の判断で一部カットをしています。

引用

で囲っているところは、なるべく原文のままにして、括弧で補足する位にしています。

 全文をご希望の方はお取り寄せされるか、病院の不用紙入れを…と言うには古すぎますねえ……。ご希望があれば、曲がった下線入り(大事なものは定規で下線を引くのですが、これに対してはかなり歪んでいます)での画像アップを検討します。



テレビは医者を嫌ってない
----疑心暗鬼の連鎖を断ち切れば

テレビ報道ディレクター 真々田 弘(ままだ ひろし)


●医療側が言う「医師バッシング」報道。だが、テレビの現場の人間は「そんなことはやっていない」と考えている。私たちのルーチンの報道業務の中の一場面に医療があるのでしかないのだ。医療者と報道現場の人間との間にある壁。情報ギャップ。その本当の意味を理解しないことには溝は埋まらない。よりよい医療を求めている医療者とテレビ現場の人間との間の「誤解による」とも言える疑心暗鬼を埋めるための方法論は、相手を知ることである。


 私は、根っからのテレビ屋だ。
 いかに、視聴者にものを伝えるかが仕事。
(そんな私の座右の銘は、)「台所でネギ刻んでるおカアちゃんを振り向かせろ!!」
(中略)
 夫の、子どもの夕食の準備で母親達が一番忙しい時間帯。そのおカアちゃんを振り向かせるインパクトを作れ。一度振り向かせたら、画面の前から離れさせないような番組を作れ。
 単に物事を「伝える」のではなく、相手に「伝わるよう」に作れ
(中略)
 単に「伝える」から一歩踏み込んで、相手に「伝わる」ような情報発信。
 その感覚から言うと、医療界は台所に立っているお母ちゃんに、世の中に、そしてテレビの人間たちに「伝わる」ように情報を発信してこなかったのではないかと思う。
 いや。メディアと対することを拒んできた結果、だということもできる。



「医師バッシング」なんて「無い」
(中略)
 メディア、とりわけテレビの世界に身をおいてきた者として「医師バッシング」なる言葉は、全くピンとは来ない。
 1年365日24時間。切れ目無くニュースを流すのが仕事の私たちにとって「医療ネタ」も、日々目の前を過ぎていく多くの情報の中のone of themに過ぎない。その事案が、視聴者に伝える必要があるか否か、それだけが番組で取り上げる上での判断基準だ。
(中略)
 訴訟が増えたのは、マス・メディアが医療不振を拡大する報道をするからだ、という「マッチポンプ」論をかざしての批判も当然ある。
 だが、どんな分野であれ「事件」「事故」「訴訟」が起これば、それを報道しようとするのは私たち報道屋の本性である。
 そして何より、医療に関するテレビ報道が多くなるのは、医療が、人々の命に直結する大問題だとテレビ屋が考えているからこそのことなのだ。医療を軽視などしていない。
 だが一点付け加えるなら、取材の現場には「病院不信」「医師不信」がある。



病院不信・医師不信
 「病院不信」「医師不信」と書くと、やっぱりメディアは・・・・・・と感じるかもしれない。
 だが、その「不信」が生まれてしまった理由を考えてほしいのだ。
 取材現場の、とりわけキャリアが長いスタッフにとって、医療と教育=病院と学校は、取材者の鬼門となっている。なぜなら、私たちにとって最も取材を「させてもらえない」相手が学校であり、病院だからだ。
 「取材を受けない」「都合の良い情報しか出さない」「現場を撮らせてくれない」という閉塞感は、番組が作れないという苛立ちを越え、「やっぱり奴ら、何かを隠しているのではないか」という疑心暗鬼すら生む。
 今の情報社会の中で、「積極的に発信」することは自己防衛の最大の手段であるにも関わらず、それを拒んできた最高峰が医療界なのだ。

☆個人情報守秘義務の存在や生徒のプライバシーなどの重さをミジンコレベルも考えていないのがテレビ屋だとわかる部分です。

 もちろん個々には、とりわけ臨床の現場の医師たちの中には、患者のために、時に立場を投げ打っても取材に協力してくれた医師たちがいる。彼らに払う敬意は尽きない。その思いがあるだけに、彼らをして「医療界の異端児」としてしまうような、総体としての日本の医療界は一体何だのだ、何を考えているんだという疑問と不信は残り続ける。

☆自分達の伝えたいことの裏付けになる発言をしてくれる医師を尊重し、そうでない医師等の発言は「知ラナカッター」ですますのに、尖閣デモに対するNHKの対応を思い出します(参考)。

「判らない」「見えない」「知らせてくれない」が医療訴訟を起こす患者家族の思いの大きな理由であるのと同じように、そのことで取材者たちもまた医療不信に陥ってきた。

☆「イシャガー」
 マスコミが現与党である民主党と親和性の高いのも納得させられる、他罰的な性質のマスメディア。そして、私たちは一般人である患者と同じ視点であるに過ぎない、ゆえに、我々に非はないと「一般視聴者」を隠れ蓑にするところも、末期的だ。
☆かつてはそういわれる部分もあったろう。しかし、「医療バッシング」で、インフォームド・コンセント、多数の書類が患者と医師との間で交わされるようになってからは、むしろ、「判ろうとしない」「見ようとしない」「知らせても受け入れない」が原因であるように私には思える。この感覚の正しさは、新聞などのメディアではほとんど報道されないが、医療訴訟で原告が勝訴するケースが非常に少ないということにも、裏付けられているのではないか。

「医療現場を知らない報道」「医療の実情を知らない報道」。そんな批判の裏側には、現場を開いてこなかった医療界があるのだ。
 医療崩壊が語られるようになり、ようやく医療現場も取材を受け入れるようになってきている気がする。医師たちから率直な言葉が語られるようになってきてはいる。
 だがまだ、知りたがりのテレビ屋を納得させるほど、医療界は開いていない。

☆テレビ屋の知りたい対象も、医療機関を受診することがある。彼らの通院もしくは入院先に、テレビ屋を儲けさせるために、病院側がテレビ屋に「現場を開放」させる必要があるのか。それによるデメリットを、テレビ屋は被る準備は、覚悟はあるのか。


テレビの記者って
(中略)
 「テレビの記者」と言っても、特別な教育を経てきたわけではない。私自身、海外でテレビ取材をしていて「ジャーナリズム論」を大学で学んでいないと言うと、驚かれたことがたびたびあったのだ。
(中略)
 とりわけその分野に明るいからではない。あくまで、カイシャの人事だ。数年の間、例えば厚労省クラブに在籍に厚生行政、医療政策に詳しくなったとしても、その専門記者になるわけではない。翌年には、畑違いの警察庁記者クラブに移動なんてことがざらにある。
(中略)
 現場の記者は「偶発的」に医療問題と出会う。「医療事故」と「医療過誤」の違いを知る現場のテレビ記者は、多くはないはずだ。

☆日本のジャーナリズムのシステムが、カイシャが、悪い。現場がシロートレベルなのは仕方がない。それが現状、受け入れろ、と読みました。

 日々のニュースの中で医療に関する報道に関わるテレビの人たちは、間違いなく世間と比べれば多くの情報を持つ人間ではあるが、根本的なところでは一般人と同レベルの知識常識しか持ちえてはいない。

☆シロートがデカい声で、インパクト大事と患者視点でぶちまけるのが、テレビの医療報道だ、と読めました。

 そして何より、「しょせん患者にしかなれない」記者は、多くの視聴者と同じ感覚で、自らの命を守るものであるはずの医療に期待を持ち、不安を感じる。「医療事故」「たらいまわし」は、患者側から見れば「あってはならない」ことなのだ。だから、医療「事故」被害者や患者と記者との親和性は、医療者と記者の間のそれより、本質的なところではるかに強く、放っておけば報道の力点も、当然そちらに寄り添う。

☆「負担は少なく、いつでもどこでも、コンビニもないような場所でも、専門的な治療が受けられる安心」を求めない、患者及びその予備群はいないと思う。そこにかかる費用や人的負担を考えるという視点を、メディアは放棄し、「放っておけば」と「専門家」に責任に丸投げする姿勢に、テレビ屋らしさが見える。


医療の不確実性・・・・・・って、それ早く言って
 一方、取材者に門戸を開くことなく、医療の無謬を、医者を、病院を信じろと長い間いい続けてきたのは、医療者の側ではなかったのだろうか。

☆テレビでもてはやされる一部の「スーパードクター」を除き、テレビで「俺を信じろ、どんな病気もすべて治す!」と言った医療者はいましたか?(CTを撮っていたら助かっていたと、断言し、ブログが炎上した医師免許を持ったバラエティ出演者(おおたわ(け)さんでしたか)はおられましたが) 人智の及ばぬ領域があるという常識を共有している患者さんに対して、「何とかしましょう」と個々に言うことはあったかと思います。マスコミ常識を押しつけられた現在の「患者さん」には、怖くて言えないでしょうけれど。
 「病院で患者が死ぬなんて、あり得ない」と、著者に代表されるテレビ屋さん達は思っていたんですか! 信じられない知能レベルの低さ想像力の欠如ですね。お医者さんが何か私たちにはできない「いいこと」をしてくれるのではないかとプロフェッショナルを「信じ」、死は避けられなくても、安らかな時間が少しでも長く続いてほしいと願うのが、身近な者を見送った、そして医療を受ける側の私のスタンスであります。(参考

だからこそ、患者取り違えも、カルテの改ざんも、それが明らかになった時に、人々は絶望し、深い猜疑心を生んでしまったのではないだろうか。

☆カルテの改ざんも患者の取り違えも、ほんの一部で起こったことである。それをあたかも、あなたのかかっている病院でも、行われているかもしれません!!!と、ヒステリックに恐怖をあおり「猜疑心」を呼び起こす「インパクトのある」報道をしたのは、テレビ屋である。

 医療の取材をするようになり話を聞いてゆくと、当たり前のように「医療は不確実なものだ」と言われる。確かに説明を聞けば当たり前すぎることが多いのだが、「オイオイ、そんな大切なことをアンタたちは今までちゃんと言ってきたのか、伝えようとしてきたのか」ということが頻繁に起こるのだ。

☆テレビ屋である著者は「当たり前のように」と大層驚きの様相であるが、当たり前なのだ。MOONRIDERSの歌にもある「モノは壊れ、人は死ぬ」。歴史をみれば一目瞭然。朝鮮人参をありがたがったのが、江戸時代の医学である。どれだけ医療が進化したとテレビ屋が夢想しようが、人は老衰で、病で、怪我で死んでいく。その当たり前を理解しようとしないだけでなく、当たり前を当たり前としない彼らの偏った「ジョウシキ」を、視聴率目的、インパクト第一とセンセーショナルに脚色演出した報道で押しつけ洗脳したテレビ屋の後かたづけを、発信力のない医療界に押しつけようとする嫌らしさを、私は憎む。

 命の問題を、医療者だけの問題にとどめず、私たち一般人の問題なのだと提起してきたのかということなのだ。
 現場は発信してきた、と言う声も聞く。それを聞き漏らした方が怠惰なのだという批判だ。

☆現場の発信をかき消すほどの大音量で繰り返し繰り返し、「病院で死ぬなんて医療事故に違いない!!」と発信してきたことを振り返りもしない。己の不始末は、仕方がないこと他にやりようがなかった、それも○○のせいだと他罰しかない「人格障害者」の手記を見ているような気持ちすらする。
 しかも経歴から推察するに、著者はまだ、まともな方らしいのだ。

 だが、医療界を代表するエライ方々はどうだったろうか。

☆福島県立医大の故・佐藤教授はしっかりと発信なさっていましたが、報道しない自由を駆使されたのは、どちらさまでしたでしょうか? すぐにわかる嘘をつくところも末期的だ。繰り返すが、著者はまだまともな方らしいのだ……。

医療ミスを引き起こす労基法違反の過剰勤務を、誰が告発しただろうか。先般、最高裁で和解となった小児科医の過労自殺の裁判闘争を、「医療者業界」の幹部たちはどれほど支援したのだろうか。
 実際、医療現場の矛盾の告白を続ける現場の医師に寄り添うと、学会幹部なり厚労省出入りの方々にそっぽを向かれる、という経験を現場の記者たちはしてきている。

☆誰が言ったかわからない、しかも伝聞形式。女性誌の「決意」の雅子さまスバラシイ!記事を読んでいるような錯覚に陥ります。

 学会では報告している・・・・・・という言葉も聞く。でもそれはしょせん、内輪話でしかない。
 医療者が、自分たちだけの閉鎖的社会で常識としている、のかもしれない。でもそれは世の中では「非常識」でしかないのだ。

☆何というブーメラン。

「医療現場の実態を知らないマス・メディアに、私たちはバッシングをされている」という医療者の声は、逆に言うなら、自分たちのありのままの姿を伝える努力を、実態が伝わるための努力をなしてこなかった結果だということもできる。

☆一年4ヶ月前の、衆議院選挙。自民党は「実態を伝える努力をなしてこなかった」結果、民主党に歴史的惨敗を喫したのだろうか。民主党の、今となっては詐欺マニフェストであったことがばれてしまったそれを、マス・メディアがこぞって毎日のように絶賛して取り上げ、政権交代で日本はよくなる、と持ち上げたイメージをあらゆる媒体で垂れ流した。これらの偏向報道に罪は無いのか。(放送法に明らかに違反している)

マス・メディアを、テレビを、自らの姿を理解してもらうためのツールとして利用してなかった結果だ。

☆コマーシャルを打てる政党でも、衆議院選挙前の報道に見る通り、なのである。ましてや守秘義務で手足を縛られ、過剰労働で時間も奪われている医療界に何を求めているのか。マスコミが気分が良くなる特別待遇を約束するか、裏金を回してくれたら、悪いことはしない、というように言っているようにしか、私には読めない。


如何に「伝わる」ようにするのか
 マス・メディアの人間は「媒体」である。
 その媒体を構成しているのは、前述したように基本的には世の中の人々と同じ環境に育ち、同じ情報に触れてきた人間である。具体的に言えば、医師が日々診察している患者と同じ程度の「医療観(感)」を持つ相手なのだと思ってもよい。その相手に、いかにして自らが伝えたい情報を「伝え」、「発信させる」のか。

☆漠然とした表現である、「世の中の人々」に、みのもんたの番組に代表されるような、極端な情報や価値観を植えつけられた、と付け加えたい。

 そのためには、自らが発する情報を相手に「伝わる」ように、工夫しなければならない。
 取材を受けたが、本意とは違うまとめ方をされた、とはマス・メディア批判の中でよく聞くことではあるのだが、本当に取材者に対して自分の本意が「伝わる」形で話したのかどうか、が問われてくる。丁寧に、長く話せば「伝わる」というものではないのだ。

☆記者には理解度テストが必要なようです。そして、実際に流布される前のチェックは、必須ですな。

 そもそもの前提から相手に理解してもらいたい。かといって、それを帰納法的=医師に話を伺っているとよくあるのだが、前提が長い=に語っていったのでは、素人に近い聞き手に多くの誤解釈の余地を与えてしまうことになる。ならどうすればいいのか。
 以下、その時のアドバイスだ。


「事前に取材意図、質問項目を提示してもらうこと(もちろん、実際の取材場面ではそれに留まることはないが、相手の指向性、嗜好性は把握できる)。
 その質問に対しての回答の準備ですが、回答と言っても、大事なのは質問が来た際に冒頭にぶっつける「事態・現状を象徴する短く印象的なフレーズ」を用意しておくこと。相手が引用したくなるようなフレーズを。

☆キャッチフレーズまで与えてもらおうなんて、記者の存在価値ってなんだろう。しかもシロートである記者に分かるように、まで求めるのなら、医療者自身に文字数を提示して、紙面にそのまま載せる、もしくは医療者による原稿に沿った台本を作ればいい。記者は不用。一般読者や視聴者に分からないであろうところをチェックし、その部分の説明原稿を求める編集者がいれば十分である。医療ブログを眺めて見れば、著者レベル以上の著述力・文章構成能力を持つ医師は珍しくない。しかも、彼らのブログは趣味、タダである。著者はこれでお金をもらうのだから、当然、何度も校正をされているのだと思う。シロートの曲解がつく取材の形でなく、そのままマスメディアに載る文章原稿の形で医師に依頼すれば、彼らがブログに載せている以上の銘文が寄せられるであろう。(ブログでは誤字上等の駄文をダダ流しにしている私だが、(数少ないが)論文や(たった二編だが)商業誌に依頼を受けたお金がもらえる文章は、真剣に修正したように)

 回答は演繹的に、最初に結論を持ってくる形で答えること。話の方向性を明らかにし、インパクトのある冒頭の一言で「それは、どういう意味なのでしょう?」と質問者が疑問を持つことにより、より注意深く話を聞いてもらえるようになることもある。学会での発表や論文とは違います。帰納法的な回答では、相手に解釈の余地を与えてしまう。やや乱暴な要約でもいい。いかに相手に明瞭で簡潔な言葉のインパクトを与えるかです」----。

つまり、質問者はバカということですね。「やや乱暴な要約」「明瞭で簡潔な言葉のインパクト」。なるほど、みのもんたさん方式でお願いします、ということか。簡単にすれば、嘘が混じる、もしくは嘘そのものになるのは、池上彰さんの番組やエッセイを見ていても分かりますが……。

 今、テレビで最も売れている「報道人」の池上彰氏は著書で「最初に聞き手に全体像、話の展開が見える地図を与える」のが伝えるコツだと書いている。私の助言。「最初に結論を持ってくる」も、これに近い考え方だ。
 テレビの取材を受けるなら、というアドバイスかもしれない。明瞭さ、簡潔さ、そして短さ。短い放送時間に収めるために、インタビューから印象的な言葉を切り出そうとしている取材者に、取材される側が切り出しやすいフレーズを与えることで、意図を曲解されることなく、視聴者に伝わるようにするための一つの方法であることは間違いない。
 「伝えたいこと」が「伝わる」ようにするためには、相手を理解し、相手にあった形での言葉を使わねばならない。

☆相手=テレビ記者などのマスコミ、なんだよね。この「相手」が、悪意で曲解したり、始めに結論ありき(「医療ミスがあったに決まっている。医者はミスを隠している」など)の人たちじゃなければ、この意見は「あり」かもしれないが、専門用語を理解する知識が無いどころか、ルール違反突撃インタビューに対して、応じてもらえなかった怒りを、一方的にぶちまける人たちだからなあ(参考)。
 それに、高校で物理生物という変わった選択をした私でも知っている、ベンゼン環を知らない、シロート以下レベルのテレビ屋さんが、ノーベル化学賞報道に関わっていた、という「事実」も、去年見せてもらったし……(参考)、医療報道にかかわるテレビ屋さんのレベルも、推して知るべし……。

 以下、「取材者の後ろに視聴者・読者がいる」「マス・メディアを味方につける」の二項は、後日紹介予定の(その2)に回します。

*Comment

NoTitle 

これはまたすごい燃料ですね・・・。数年前ならいざ知らず、いまだにこのレベルとは開いた口が塞がりません。しかもたまりょ様ご指摘の様に「今後も悪意を持った馬鹿なまま」らしいですし・・・。
私の身近では今年度一杯でまだまだ現役のはずの二名がリタイヤして、専門外の施設に行ってしまいます。地方都市の公的拠点病院クラスですら崩壊の危機に瀕しているのですが、ゴミの中の人は知ったこっちゃないのでしょうね。
  • posted by 放置医 
  • URL 
  • 2011.01/06 17:18分 
  • [Edit]

コメントありがとうございます 

放置医先生

 早速のコメントをありがとうございます。このお礼は、何をおいても続きをupすることだと思いました。
 真々田さんの文章に呆れ、そのご立派な経歴(その2に載せてます)にのけぞり、なるほどこのようなスタンスで、医療報道に半世紀関わってこられたのであれば、現状になるわなあと、乾いた笑いが漏れます。

 燃料になりますか? もっと早く紹介できればよかったです。
 この雑誌を拾った(笑)時は、個人的に仕事を抱えてしまっている時期で、すっかり遅くなってしまいました。
 もー、あーいう業界の人たちとはまともに関わらん方がええように思います。
 専門家がマスコミという偏向フィルターをはずして情報発信してくださる時代になって、本当によかったです。

 医師になった塾の同級生も、県立病院→老健(年賀状が来ました)、職場の同僚の友達(高校?の同級生とか)の医師も、クリニック勤務→老健と職場を変わったそうです。医師を求める現場はあるのですから、自分と自分の家族を守るために、ご自身を大事にしてくれそうな環境に移られるのは、仕方がないです。
 
 放置医先生も、お身体お大切になさってください。
  • posted by たまりょ 
  • URL 
  • 2011.01/07 02:55分 
  • [Edit]

NoTitle 

たまりょ様、丁寧なコメントに加えて、体調までお気遣いいただき感激です。ありがとうございます。
私の同期達もたまりょ様の同級生の方と同様に「公的病院→老健」パターンです。もちろん職場の選択は自由なのですが、取得するまでに何年もかけた資格や今までの専門医としての経験をほとんど活用できそうに無い職場に移ってゆくのは本当にもったいないと思います。
たまりょ様もご自愛くださいます様に。
  • posted by 放置医 
  • URL 
  • 2011.01/07 15:52分 
  • [Edit]

重ねがさねありがとうございます 

放置医先生

 医療に限らず、プロフェッショナルな方々の恩恵に預かる側としましては、放置医先生のご同期の先生が、プロとして通用するほどに高められ磨き上げられた知識と技量、そして経験を、存分に発揮したくなるような環境でないことを、とても残念に思っております。
 誰かの役に立ちたい、という欲求を、健全な社会生活を営んでいる人であれば、誰でも持っているものだと思います。
 誰かのお役に立てたのでは、と実感できるのは、感謝の気持ちを頂いたときなどですが、目の前の誰かより自分は優れているんだ上なんだと虚勢を張ることで、感謝の言葉がつぶされているのであれば、もったいないとだと思います。感謝の気持ち、自分にはできないことをしている人への尊敬の思いがあれば、放置医先生のご同期の方々も、私の直接/間接的知り合いも、燃え尽きそうと危機感を覚えるような状況にならなかったのではないでしょうか。
 でもきっと、そういう方々も勉強熱心だと思いますから、職場を移られ、生まれた時間と心の余裕で、彼らの愛した専門への知識を積まれていかれ、場が整った時には専門の力を発揮してくださるのだと、夢想します。

 体調を崩したら、やたらと周囲があわてて、長らく仕事量をセーブしてもらえていた私も、ちょっと余裕ができてきたかなと判断し、去年から別のところでもパートで働きだしました。心の余裕は、本当に大事だと身に染みております。春の退職者が決まり、仕事時間を増やしてほしいと頼まれてますが、お断りする予定です。体も心も壊さぬよう、掴んだペースで働いていきます。(節約は得意だし!)
 お言葉ありがとうございました。
  • posted by たまりょ 
  • URL 
  • 2011.01/09 22:00分 
  • [Edit]

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たまり(ょ)

Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

何となくの傾向インデックス
・「某Oさん」や「花柄の君さま」などと表記させていただいている声優さんのファンなので御出演作♪
『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
・『電王』以降のスーパーヒーロータイム
宝塚歌劇感想
・他ドラマなど
・医療破壊に関しては涅槃の境地にいけたらイイナ♪
リンク先=『麻生太郎オフィシャルサイト』さんスキー♪

チベットを知るために-人権問題(ダライラマ法王日本代表部事務所)

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