お決まりの日々?

モモの節句でございます。

オリジナルを尊重するということ

桃餅姫さまのmixi日記で知りました。

岡本太郎さん作の壁画にいたずらの絵 原発事故描写か(asahi.com)

姫さまの日記に同じ思いだと、長々とコメントを付けさせていただいたのですが、
まだ言い足りないので、自ブログに書きます。


尊敬しているから、好きだから、という気持ちから発した行為としても(仮定)、
やってはダメなことがある。

私は、ゆるい岡本太郎さんファンだ。
「岡本太郎的なもの」はいくつかのバリエーションがあっても、「岡本太郎」は唯一無二だと思っている。
(岡本太郎さんに限ったことではない。置鮎さんもそう。
 彼に声質が、感性が似た人はいるだろうが置鮎さんは唯一無二ゆえに、
 他の人では(少なくても私にとっては)ダメなのだ。
 特別な理由なく、聞きなれたキャストは変えてほしくない)

オリジナルは、尊重されなくてはならない。

受け手が何を思うかは、自由。
中には、素晴らしい作品に触発されて、何かを表現したいと気持ちが高まる人もいるだろう。
それはとても心躍る素敵なことだが、その時には、
「オリジナル」そのものに、紛らわしく付け足すのでなく、
一から自分で作り上げ、「○○」にインスパイアーされた「作品」として、
その人のものとして発表すればいい。

一から「作品」を作れないのなら、オリジナルには触るな。
オリジナルに紛らわしい恰好で同居させるな。
「パロディ」です、と明らかにわかる格好でやれ!

紛らわしさは罪だ。
ましてや、その作家でもないのに、「オリジナル」に
もし、作家さんがいたら、描き加えていたはず、などという浅ましさ。卑しさ。
その瞬間、その偉大な作家さんは、凡人と同じレベルにおとされたことになる。

作品は、その時の作者そのもの、魂の結晶。
ゆるいファンだから間違っていたら本当に申し訳ないと思うが、
岡本太郎さんは、たくさんのクロッキーを残されていたと思う。
これだ、というものを力強い線で、描かれていた印象がある。
少なくてもその時点の太郎さんにとって、無駄なものはない、
これ以上なく完全に(当時)岡本太郎であるものが、作品として残っているはずだ。

完成作品はその時の岡本太郎そのもので、点一つも足りないことはないし、多すぎることはない。
描き上げ、サインを入れたその時点で、100%「岡本太郎」として完結している。

「いたずら」と報じられたが、私の認識では「犯罪」だ。
岡本太郎のエッセンスを熟知しているであろう、専属の修復師さんですら、
何も足していないし引いてもいない。
破損した部分は油絵やスケッチをもとに、制作当時の岡本太郎さんの魂そのものを
復元しようと闘っておられたと思う。
のちの岡本太郎なら、こうしたであろう、という自分の意見を入れるなら、
それは「修復」とは呼べない。
結果「岡本太郎的なもの」ができるかもしれないが、「岡本太郎」とは呼べない。

皆に見てもらえるようにと展示されている「厚意」を利用する形で「いたずら」されたのだろうが、
美術館で同じことをやればどうか。
美術館に展示されているアンティークの宝飾品に、
こっちのほうがよりイイよね、とシリコンだから元を痛めず外せるし、
材質が違うから見る人が見ればわかるよね、と付け加え、ガラスケースに知らぬふりで納め、
来館者の反応をうかがうのは犯罪じゃないか。

いたずらか犯罪以前に、オリジナルへの敬意を私は感じない。

作品にはそれが作られた時代が反映されている。
その時代を映した作品に、今ならこう描いているはず、と現在の視線で、
作家本人でもないのに妄想で描き加え、オリジナルから離脱させることを賞賛するのかと呆れた。
書き加えたことを称賛する人は、なんだい
『明日の神話』は太郎オリジナルでは不完全だと思っているのか?

両面テープで傷を付かなかったから偉い、んじゃなくて、
冒頭にも書いたことを繰り返すが、紛らわしいこと自体が罪だ。

東日本大震災のチャリティーオークションで、高河ゆんさんの生原稿をもらえる権利があったが、
それに自分のオリジナルキャラクターを描き加えたものを、
「オリジナル」と紛らわしい恰好で置いておくのを、ファンが「いたずら」とか、
ゆんさんならこう描いたはずと肯定的に受け止めるとは、私には思えない。

ましてや今回は、自分の所有物でもないものへの「いたずら」。


今見たら物足らないと感じる作品が「仮に」あったとしても、
オリジナルに足したり引いたりできるのは、作家のみ。
たいていの作家は、当時の作品そのものに書き足すのではなく、
今ならこのように描くと、同じモチーフで別の作品を描いているのではないか(※)。

これも私の印象で、事実とは違うかもしれないが、
岡本太郎さんは、昔の作品に、後になって手を加える作家ではなかったように思う。
同じモチーフの作品をいくつか目にした。

オリジナルの魂を完成時の姿に戻そうと、埃や破損から救出する修復は大いに結構。
しかし、改竄や紛らわしい行為は、故人の名誉のためにも、誇りのためにも許しちゃいけないと思う。

映画のデジタルリマスター版は歓迎するが、無断でメッセージ性の高いエピソード付け足して、
何食わぬ顔で「オリジナル」と紛らわしいスタイルで上映したり、
作者に無断で改変したものを「エディターズエディション」や「完全版」と銘打って販売するのは元映画を冒とくしている。
それと同じ。誤解させるようなものは罪である。

死人に口なしというが「故・作家さんはこう思っているはず」と付け加えられた結果、
各種思想団体に利用されたら、その作品のファンとしては大変に辛い。
ましてや「こう思っているはず」が一人歩きでもされたら……。


素晴らしい芸術をそのままに後世に伝えていく。
残された人たちに出来るのは、それだけなのに。本当に悔しいし、情けない。何より悲しい。


「あなたなら、今『明日の神話』をどう描きますか」のお題で描きました、と
画像に貼り付けての表現だったら、楽しかったのになあ。
  ↑
私は、『明日の神話』から、どんな困難でもあってもそれにつぶされることなく立ち上がって、
真っ向から対峙して、じりじりと一歩ずつ進んで「明日」を掴んでいく、
人間本来が持つ(ことを信じたい!)力強く放散する温かいエネルギーを感じた。
腹の底から静かにそして大きく震えるように満たされる熱に目がかああと熱くなる。
中央の白骨が焼かれる(核の)炎が、火の鳥の燃える尾にも見え(イメージは手塚治虫の)、
「復活」や「再生」の可能性を力を強く感じる。
何よりも真っ白な骸骨は綺麗であり、みすぼらしさや哀れさとは無縁だ。
炎を受け、誇り高く光り輝いている。生まれたてのような純白で、強い。

岡本太郎の『明日の神話』に福島原発事故を描き入れてみましょうとお題があったとしても、
あのようには描けないと思う。

描き加えるなら、それによって、あの爆発の映像からドーンと突き抜けるような、
人がよりよい生活のためにと作ったものが自然によって変質し、牙をむいた恐ろしさが強調されるような、
だからこそそれに協力して立ち向かう人々の、何くそとあきらめない力強さや雄々しさが、
元絵以上に、ガツンと見る人の目から火が出るくらいに感じられるものにしたいけれど、
そんな派手派手しいものを加えてしまうと、元の絵の中央から放射される生命の光り輝く強さを邪魔してしまう。

何かを描き加えるどころか、結局のところ私には点一つだって、書き加えることなどできやしないのだ。
(「いたずら」の主はどう思ったのかは知らないが)
「岡本太郎」は、凡人の発想で上書きされるような小さなものじゃない。
やっぱり、岡本太郎はすごい。想像しただけで打ちのめされた。

賞賛している人たちは、あの部分がつけ加わったことで、元絵を超えたと認識しているのかと不思議だ。
私が、あの「いたずら」を悲しく思ったのは、
私が「いい!」と衝撃を受けた『明日の神話』と、違うものになっちゃったと感じたからだ。


子供が彫刻に乗って壊したら、直せばいいんだ、ということを、仰っておられたように
記憶するが、それはそこに「岡本太郎」がいたから、楽しい話と感じられたのだろう。
岡本太郎さんは子供の純粋なエネルギーを糧のようにされていたところもあるし、
その子供が、ご自身の作品を楽しんだ結果壊れたという活力的なエピソードから、
さらに「岡本太郎」が広がっていくと想像するとワクワクするではないか。
しかし、その「岡本太郎」が不在の今、故意に作品を破損することはあってはならないと思う。


※ 単行本を文庫本など別の形で出版する場合も、オリジナルから加筆修正がある場合は、
紛らわしくないように、必ずその旨、明記してある。
 高村薫さんは文庫版が単行本と別物になっていることもあるので、両方買っているものもあるな~。
(新井素子姫の「文庫版あとがき」も欲しくなるので恐ろしい。文庫本は単行本より安いし……)

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  • posted by  
  •  
  • 2011.05/03 08:23分 
  • [Edit]

桃餅姫さま~~! 

私のつたない記事に、こんなにしっかりとした正確なコメントを書いてくださったのに、非公開とは!
もったいないと噛みしめています。
本当にありがとうございます。

桃餅姫様のコメントで、この壁画が発見されて、どれだけの人たちの思いと時間をかけて、「蘇り」、今、渋谷にあるのかを、書いてくださった言葉を、特集番組映像込みで思い出しました。

館長の発言は、え!?と思いましたけれど、他の方のコメントとバランスを取られたかな。
例え岡本太郎の芸術に触発されて「芸術としてやろうとした」としても「繰り返されたら困る」がメインメッセージだと、とらえることにしました。

きちんと管理できるのが条件、とのことですので、きっちりと犯人を出して、館長の言葉通り、再犯がないことを切に望みます。
  • posted by たまりょ 
  • URL 
  • 2011.05/03 20:26分 
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『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

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