お決まりの日々?

モモの節句でございます。

『エドワード8世』/『Misty Station』(7,8,9回目)

2月25日15時公演、26日11時公演、15時公演を三連続で見てきました。

25日15時公演のお席は、叶うならもう一度、のお席で、
26日15時公演の良いお席を譲り受ける条件で、同日11時公演ともう一枚を引き受けたのですが、
目を開けると痛い、という状況で、もったいなさにがしっと開け、目がヘロヘロです。

アホだ!眼科主治医に叱られるに決まってるわ。
(先生も、大劇場の端からでも舞台が見える度数にしてください、
 という私の要望に応えてコンタクトレンズを処方くださっている時点で共犯?)

しかし、
「後悔しているに決まってる。だが、たとえ時計の針を戻せても~」
と、決めの台詞で自己弁護できるところも強い作品ですよね、大野先生!

そんなわけで、今日のチケットを「譲ります」投稿も掲示板で見たのですが、
さすがに間違い探しのような業務内容の本業に、趣味で影響が、
同僚のサポートの及ばないところまで出だすと、
「役に立つか立たないか」の問題を超え、責任問題になりますから、目を休ませることにしました。



25日15時公演は、下手の端っこ、前のほうの席。(最前ではないよ)
舞台は、中央の席で見ると、効果がはっきり、
端のほうでも、それなりに見えることを前提に、舞台装置や人物配置がなされるので、
前の方の端っこ!はあまり考えられていない。
であるからして、端っこだと、メインの人が直線状に並んで、奥の主役が全く見えない、ということが起こる。

全体を見る、という席ではなく、ポイントを楽しむ席だから、
舞台で何が起こっているのか、というのはわかりにくい。

デイヴィッドが可愛くて、つい甘やかせてクセになっちゃいました~の三人を、
新参者のデイヴィッド・スキー、トーマスが諌める銀橋のシーンは、4人が団子状態で、
面白いお芝居が見えなかったり。

ショーでも銀橋の位置関係が分かりにくい。

でも、普段は見えにくいところが、しっかり見えたりする。
たとえば、ナイト・クラブでカクテルを作る台に向かうときに、タイを緩めるところが見える、とか、
ラジオ放送の場面の後で、75歳のウォリスに亡霊が寄ったあと、
ライトが落ちた後手をつないでいるかのごとくに重なって、下手へはけていく様子がわかる、とか。

このあたりはショーでも健在で、Agent Expressのラスト、下手花道?を、
その場面のメインカップルが良い雰囲気でくっついてはけていくのが素敵。

エドワード8世暗殺未遂の後、辛そうにその場から逃げるウォリスを、
トーマスが追いかけていくのが分かるから、その次のシーン、
シティとの境界のところで仕組まれた「芝居」の前に、あったことが想像できる。
「ウォリスさん」と彼女を追いかけたトーマスに、
泣きながらウォリスが、デイヴィッドと別れる決意をしたと告げ、協力を要請したのだと。

だからこそ、デイヴィッドはトーマスに酷く怒る。
彼を甘やかさないトーマスを信頼もしていたのに、よくも裏切った、この私を策にはめたな、と
感情をむき出しにする。
だからこそ、その後、ただの侍従だろ、という立場のトーマスが後悔の歌を歌っても、
何とか話が繋がっている。すごいな、と思う。
(ルサンクの脚本についている主要人物の欄に、トーマスやシンプソン(夫)が載っているのに、
 アルバートが載っていない、宝塚番手システムの不思議さを上手くごまかしたな~と)
トーマスに「ウォリスさん」と言わせるだけじゃなくて、
彼女の手をつかませて、彼女がうなづくところまで入れてからはけさせたら分かりやすいのに。


前回の『アルジェ』で覚えた主演さんの足音に心躍る。

上手花道からの登場も振り返る角度少なく見ることができる。

下手銀橋の端あたりを立ち位置にお芝居されることや、通り過ぎる時間があったりする。
近い、というのもすごいこと。
このとき私の目線の高さには足があるわけだけれど、
ファンクラブ活動をしてない私には、そんなに近くにいけることは無いわけだから、
おおおお、と見上げてしまう。

見上げる。そう、近いけど目線は違うの。お手紙渡しや握手会とは違う。

しかし、その目線だって例外的に、ショーのオープニングで、せり下がられるときには、
方向は違えど、高さが近くなる。

せりが舞台端なので、見上げる視線の方向は二階客席の上手サブ前方ぐらいかと
推測(そのあたりに座らないと分からない)けど、彼女の目線ではなく、
物理的な目の位置がとても近くなるのだ。
握手会ではそういう時間もあるのだろうけれど、私には無いことだし、
なにより、そこにいるのは舞台人として強い光を浴びている真っ最中の彼女だから、
引き込まれる。
ライトを受けてカラスの濡れ羽色に光る黒目(目に負担がかかると思う)に、
文字通り吸い込まれる。視界を、思考を奪われる。

そのシーンがどこであったか、その後展開した場面と彼女の服装を手がかりに思い出そうとするのに、
直前の記憶は強烈さにポーンと飛ばされてしまったし(後に糸を引くように手繰り寄せて戻しました)
帽子をかぶっていたかどうかという近い距離のことすら、ぼやけてしまう。
ただただ、私に近いところにあった左の黒目が強烈で、ブラックホールでした。

座席の位置を確認したときから、
「目の前の君」“眼前のきりやん”を楽しんでこよう!とわくわくしていたのだけれど、
まさか前後の記憶を吹っ飛ばされるほどの強烈さとは。

あまりの強さに、まじまじと見るのは失礼かと思いながらも、
彼女の目にはスポットライトが強く当たっているので、こちらは見えていないはずだと、
しっかり見ましたとも。(と書くと、覗き行為みたいで恥ずかしいなあ)

後ろ向きのせり上がりもある。
私にシンプルな衣装の主演さんの、頭から背中からお尻から足のラインをなめるように見ろというのか、
サイトーくんのド変態がっ(と思う時点で同類)、
と動揺しながらじっくり拝見しました。(主演さん、変態でごめんなさい)。

変態ついでに。
アステア姉やウォリスや「終結」で、舞台中央を向くと、素敵な筋肉の背中が見えるのも端ならでは。
「終結」では、この三公演ともにショートヘアに変わっていて、綺麗な背中が堪能できました。

乙女的に。
プリンス・デイヴィッドが女の子達に囲まれ、「みんなかわいい」と言って、
三方に投げキッスを飛ばすシーン、下手端の席だと、おこぼれに預かれた気持ちになれます。ひゃー。

アルジェ/ダンロマのときにも思ったけれど、まさおさんは近くで見ると一段と綺麗です。
若さを感じます。絵になる。視線がやさしい。写真を買いたくなる気持ちが分かる。
まりもちゃんとのシーンで思ったより長身だな、とも。
ガイが下手せりから登場するたびにぽえ~~っと見ていましたが、
でも私の好きは主演さんに集中しているので、魂は抜かれないのです、ファンの人ごめん。

目の前で歌うニンフさん達も十分強烈だったはずなのだが、
オープニングの「黒目」の衝撃に閾値オーバーしたまま戻ってこれなかったので、
衝撃度はそれほどでもなかった。霧矢さんおそるべし(というより、自分の変態が怖い)


25日、芝居で変わったな、と思ったのは、
末弟の結婚式後のナイト・クラブ、皆が退出してデイヴィッドとウォリスが二人で語り合うシーンで、
「聞くだけなら誰だって一緒でしょ」からのウォリスの口調がやさしくなっていたこと。
(初日あたりは、売り言葉に買い言葉の勢いで、口を尖らせてつっけんどんな感じだった)

デイヴィッドにとって、ウォリスを気になる女性からお気に入りに昇格したのは、
その前のシーン、結婚式当日の、宮殿門の前でのやりとり、
「謝ったぞ」の後、ウォリスが「行きます」と言うシーンの後、
ウォリスが「殿下に紳士らしからぬ振る舞いを」と頭の回転の速さを見せ付けながらぬけぬけと言いのけた後、
「これだからアメリカ人は」(ずうずうしくって困るんだ)といいながら笑うデイヴィッドの笑顔が
やわらかくほぐれていて、ここでウォリスに惚れたな!と分かりやすい。

ウォリスも、少女時代の憧れの王子様に実際に会ってみたらガッカリー、
いちいちえらそうだし、のマイナス感情から、面白い人かも、と興味を持った程度ではあるが、
紳士らしい作法で差し出された肘に、嬉しそうに手を添えエスコートされ、
『まずいよ、兄さん」と夫にたしなめられるデイヴィッドのいたずらに乗る気まんまん、
二人の関係が動いたと、客席に感じさせる。

その後、ナイト・クラブのシーンで、(実は末弟じゃなくてデイヴィッド狙いだった)マリーナでは
付いていくのが難しいデイヴィッドの茶目っ気に、ぴったり息をあわせていけるウォリスに、
この二人、出会いや表現の仕方はむちゃくちゃだけどお似合い、と客席の気持ちがもう一段動いた後。
二人きりで語らう場面は、一つ前のシーン(末弟の結婚式当日)とはまるで違っている。

お酒の影響もあるのかもしれないが、互いにつっかかる棘がなく、ほわんとしている。
ウォリスがさらにやわらかく、
「本当はどうなりたかったの?」と彼に夢があるなら語るようにと促す。
ウォリスは、前のイギリス国王を「誰?」と言っちゃうほどの異国の人だけれど
(私ら日本人にしてみれば、昭和天皇、誰?、な人レベル)、
デイヴィッドはすっかり打ち解けて、やわらかく彼の希望を話し出す。
そんな話をすることを許してくれるのは、
ウォリスがデイヴィッドの置かれている立場を理解できるような土壌に無いし、
イギリスの国益がどうかと考える立場と無縁だから、ということもできるけれど、
夢を聞いてもらえ、肯定してもらったデイヴィッドはすっかり嬉しくなって、
「このままじゃ駄目だ」と言いながら、現状を変える手段を探す気持ちになっている。
そこへロッカートの助言が飛び込み、やってみようと行動を決意する。

だから「愛人」。


デイヴィッドの素直さが彼の態度に出ていると、26日センターブロックからの観劇で、よく見えた。

デイヴィッドは典型的な「いい年」の英国人男性らしく、ひねった話し方をするけれど、
手や胸の位置は正直。以前も書いたが、ダンスのときに良く分かる。

いい年なのに、運命の恋にあこがれて、この人こそと夢見て女性を求めているが、
お相手が既婚者ばかりなのは、
彼の甘えたい気質と、障害を乗り越えての真実の恋思考なのかは分からないけれど。
マルグリットも、テルマも、彼女らの正体が分かって、気持ちが離れるまでは実に大切にしている。

彼が愛情を抱いていない相手とは、
踊るとき、抱き寄せたり、腕を深く回したりはしない。
それぞれ「プリンス・チャーミング」らしく大切に扱っているけれど、
礼儀としてのダンスであったり、友情的なダンス。
ナイトクラブでマルグリットが登場したとき、
デイヴィッドはアデールと「相手の好意を無碍にできないやさしいもの同士」でダンスしていたが、
現れた愛人に視線を送り、アデールに嘘を言ってすぐに彼女の元に行こうとした。
テルマのパーティで、彼女と登場したときなど、次々とダンスを申し込まれ、
それぞれスマートに相手をするけれど、
そこに礼儀はあっても愛情は無いことはテルマとのダンスの差にあきらか。
マルグリット、テルマ、それぞれをしっかり愛していたのだな、と分かる。
彼女達が求めていたものが、「プリンセス」という立場であったり、「英国一のセールスマン」と分かれば、
すーと気持ちがさめる。そうすれば、実にあっさりしたもので、
「(ご主人と)お幸せに」と振り向きもしなかったり、
ジュビリーに出席しているテルマに、特段の反応を示さなかったりと、分かりやすい。


だから「愛人」。(話を戻します)
そして、ジュビリーの後の、「実家のリビングルーム」の場面では、「王妃」という言葉に
デイヴィッドの気持ちが現れている。

デイヴィッドは正直な人で、思ってもいないことを口に出したりはしない。
と、三週間公演を、飛び飛びで見るうちに伝わってきました。

本物は知らん。少なくても霧矢さん演じるデイヴィッドは、正直な人。
イギリス人らしく、言葉をひねるけれど、本意ではないことはいえない。
そして、油断すると、本当の気持ちが出ちゃう、ちょっと人格的に未熟な人。
(それは短気・短絡、という本物としての役作りでもあるが)
だから思ってもいない「愛人」も、「王妃」も出ない。

頭の中にあるからこそ、言葉になる。
そのとき彼はウォリスを愛人にしたいと思ったし、
その後のシーンで彼女と結婚したい、と心から望んでいた。
(彼女と結婚したら、彼女がそばにいれば、自分はこの国を変えていけると思い描いて楽しんでいた)

本音がすける「脇の甘さ」(ロッカートさん談)が、
愛する女性の支えがないと生きていけない弱さが、霧矢さん演じる男役の魅力だと思う。

それで思い出したのが、『マジシャンの憂鬱』のボルディジャール皇太子。
誰もが死んだ、と思っている皇太子妃を、死んでいないと、強固に信じている皇太子の熱意が、
主役を動かし、偶然が偶然を呼んで、皇太子妃は記憶を失った状態で見つかる。
皇太子妃は同じ活動を通じて知り合った、同じ理念を持つ女性。
ボルディジャールはとても強い信念の人だったが、
彼女がいないと生きていけないと、彼女とならば自分の理想とする新しい体制を築ける、
と深く彼女の存在に依存もしていた。
だから彼女の生存を、心念(当て字)で信じこむ。そうしなければ彼自身が生きていけないから。
パッショネート殿下と勝手に呼んでいた、強い行動の人の持つ弱さが、愛しい。

彼が大好きだったという祖父の生き方は、破天荒なものだったはずだ。
常識的で思慮深いと描かれえている彼の父は否定し、
実際愛人関係などの清算は大変で実害も多々あっだろうから、エドワード7世の名を継ぎ、
問題の多い国王であった祖父に倣いたい、というデイヴィッドの子供のころからの夢は、
家族からすると顰蹙ものだったはず。

それを否定せず、いいと思うわと肯定してくれる理解者であり、自分と対等に口論できる女性。
彼女の支えがあれば、自分がやりたいことができる、と、
いつかは来るそのときへの覚悟はあっても、定まっていないデイヴィッド
(事実「まだ整っていない」、と父崩御のときにうろたえているように)は、
一気に彼女に流れた、依存した。

その後のジュビリーのシーンでは、テルマに無関心だし、
「一人でいるとおかしくなりそう」(君に傍にいて欲しい)とウォリスに弱音を吐いて寄りかかっている。
彼の本音に「甘えないで」と拒絶の言葉でウォリスは返すが、その後、仲良く門の中に入っていく。
デイヴィッドさんは肉体で語る人だから、ウォリスの心の声を感じちゃったと分かる。

デイヴィッドさんは、言葉も正直者になっていくのに、ウォリスは言葉と心が違うから、
シティとの境界で、彼女と一時離れることが不安なデイヴィッドさんは「愛している」という言葉を求める。
言葉で拒絶するウォリスの真意を知ろうと、
デイヴィッドさんが必死に触れようとしている姿が、切ない。
ウォリスはそれを恐れて、身を放そうとするけれど、デイヴィッドは確かめたいと寄ってくる。
ホント、子供みたいな人だなあ。

「あなたを愛してなんかいない」「もううんざり」と、言葉では言うけれど、
彼女の心は違う、僕のことをこれまでと変わらす愛している、
彼女の肉体言語にそう確信して、その後の急展開に持ち込んだのだと、
この場面でのウォリスの台詞「甘えないで」に、
ジュビリー後も彼女は同じ言葉で彼を拒絶したけれど、彼の申し出を受けたじゃないかと、
二人のやりとりを思い出させることで客席に示しておく。

迷宮パズルのようで上手く、丁寧に構成されているなあと、思う。
この話は主役二人の気持ちの動きに集中していたら、すごくわかりやすいだろうに、
政局やスパイやおまけの部分がそれぞれ興味を引くように描かれちゃっているので、
気がそれちゃうと分かりにくくなるのだよなあ。
ただでさえ分かりにくい立ち居地のガイの男の好みなんて聞いてないってば!

ラジオ放送後のシーンで、「あんなことを言われたら結婚しない訳にはいかないじゃない」と
ウォリスが責めるのに、デイヴィッドが(そんな風に思っていたのかい?)とちょっと驚いた感じの後、
穏やかに「ずるい男だってことはわかっていたはずだろう」スムーズに返しちゃうので、
結婚は彼女の意思ではないと突っぱねる言葉に真意はない、
後の言葉通り「私の性格」ゆえのツンかよ、とはねっかえりで外野はハラハラさせられるけれど、
ご当人同士はラブラブしっとりお幸せカップルで、勝手にせえと思わせてしまうところが強い。

ご当人同士は大変幸せそうなのですが、実態は世紀のお騒がせカップル。
父と兄の間で調整するアルバートは本当に大変だったと思います。
当時の情勢は、作品中に戦争のハザマ、スパイがうようよと描かれたように不安定。
父母と兄の頻発する家庭内戦争を体を張ってなんとか調整していたバーティなら、大丈夫そう。
「おまえなら良い国王になれる」が真に迫ります。
デイヴィッドの中身は子供で本能で生きている感じがしたけれど、アルバートの中身は大人に見えました。
問題家族の中でもまれて苦労したんだね~。
奥さんもしっかりものでよかったです。


25日より前に変わっていたかもしれないけれど、ウォリスが夫シンプソンに門の前で
きゃーなことをされるシーン(門番さん大変だな)の後、ウォリスが乱れた上着のすそを引っ張って直すところ、
以前は憤然とした気持ちで左右を強く引っ張るからか、「パン」とマイクが音を拾っていたのだけれど、
25日15時からの三公演では、そーっと音が入らないように直してました。
ここと、租界の夜のナイトクラブのシーンがこの公演のスミレコードぶっちぎりシーン。
(どちらも主演さんが絡まない……)

大劇場ならではの装置を使った芝居ではあるけれど、
もっと登場人物を絞って、主役に焦点を絞った、バウホールぐらいでやれば
別の分かりやすさが出てきていいかもとは思う。

政局うんぬんは、視界が主役二人にロックオンなのでみえておらず感じている程度なのですが、
他の出演者のファンにも美味しい構造になっていることは、私の狭い狭い視野の端で、
なにかいつもちょろちょろ動いていることから推察できます。そこはDVDで見るわ。


いい間違いやいい直しがあっても、芝居の中で生きている人だったら、
ひっかかりはしないのだけれど、
26日15時公演で、マルグリットに拳銃を返すとき「お大事に」と私の耳には聞こえて、ちょっとおかしかった。
御身お大切にしないといけないのは、マルグリット夫?
夫婦仲を「お大事に」なのかな。
15時公演は目の痛みと戦っていたので、私の聞き違いの可能性も大きいが。

15時公演、16日の時点で、一番の聞かせどころ『退位の歌』のオケがチャカチャカ走ってる、
(時間調整のため?)と残念に感じていたのが、元のペースに戻っていたような気がしました。
次回観劇時にどう感じるかな? ちゃかちゃかではもったいなく感じたので、
すがすがしくゆったり発光していくように(オケが)聞かせてくれるといいな、と願います。

そしる人もいようが、私は、自分の選んだ道を進もうと決意し、晴れやかに気持ちを解放していくと
いう気持ちとともに上がる両腕が、
自分の決めた道の彼方にいる君を、追いかけこの手で捕まえてみせる、という気持ちか、
この瞬間から自分だけの道を進むんだという決意か、最後に少し腕を下ろしてグッと両拳を握って、
歌を収めるところが好きです。

自分の気持ちに正直なデイヴィッドさんの前では、
政局の部分では非常に狡猾と思われるチャーチルさんまでが「心苦しいので」と
嘘ついてごめんなさいしちゃうほど、皆気持ちをさらけ出したくなっちゃうんだろうなあと思う。
そりゃあ、トーマスも傷つけてしまってごめんなさい、悔やんでも悔やみきれませんと歌うわ。

霧矢さん演じるデイヴィッドは人間的な面でもプリンス・チャーミングそのものでありました。


ショーのこと。もうすこし。
これもDVDで発見が沢山ありそう。魔都やロケットの場面は見れてないので。
(ウインクをオペラグラスで追いかけていたので、その前霧矢さんが「Agent Express」という場面に、
 舞台中央のスクリーンに文字が移っているのを、7回目観劇で初めて知りました)

初日あんなに騒いだ「魂はルフラン」は、霧矢さんが演じる神の持ち歌にしか聞こえません。
(きりやんの歌としても聞いてないです。かみさんのお言葉ですな。ご神託が歌として人間には聞こえるの)

その「時がせまる」とファンが意識するからか、板の上の方にもその意識が増してくるからか、
舞台上から振りまかれる宝塚歌劇への愛の濃度が上がっているように感じます。
彼女中から湧いてくる気持ちをすべて、シャワーのように勢いよく噴出されているというか。
(こんな人に「ONE」を歌わせた罪作りを、恥じてください。あの公演は通えなかったな~)

パレードのときのもりえさんのカフスが無色の大きい一つ石で、ライトをうけて
とても綺麗に光ってお似合いなことに、26日、気付きました。
魔都のシーンで、主演さんとセンターで対になって踊るシーン、
大人と子供か!と思うほどに体格が違うのだけれど(大人は頭身が上がり、手足が長くなります)、
不思議としっくりくるのが好きです。違いすぎて比較をしようという気持ちすら起こらないから?
以前のショーでもこの二人の組み合わせは好きでした。
長身スターさんとの組み合わせでは、まりもちゃんにはマギーのほうが合う気がします。
スター番手から、みりおさん牛と戦うのが自然でも、マギーさんと最後まで剣を交して欲しかった。
(歌はみりおさんで……)
25日下手はしで、MISTY JUNGLEの三人銀橋渡りのシーンを見、視線をもぎ取っていくのは組長さんで、
ふわんとした動きに吸い寄せられるのがもりえさんで、マギーの顔は完璧に整っていて見てしまったら
視線を離し難いな、と思いました。


あとは、良い席での観劇が一回と、後方が一回、後ろの端っこ(千秋楽)が一回。
は~~。目の負担にならぬ程度にチケットが増えないかなあ。

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たまり(ょ)

Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

何となくの傾向インデックス
・「某Oさん」や「花柄の君さま」などと表記させていただいている声優さんのファンなので御出演作♪
『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
・『電王』以降のスーパーヒーロータイム
宝塚歌劇感想
・他ドラマなど
・医療破壊に関しては涅槃の境地にいけたらイイナ♪
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