お決まりの日々?

モモの節句でございます。

月梅芸『風と共に去りぬ』

宝塚歌劇の『風と共に去りぬ』をちゃんと見たのは初めて。
映画も観ていない、原作本も読んでいない。

日生劇場で麻子さんスカーレットバージョンをDVDで見た、が、途中で耐えられなくなって、
早送りをして、その後は麻ーレット、バーンのシーンだけをつまみ食いした。

植爺×谷(カップリング表記ではありません)でも、面白いモノができるのね!
なぜ、いつもやらないんだい? 出し惜しみをするお年頃というには残されている時間は長くないでしょう。
作品発表があるたびに、ゲッと思わせる、特に前者。後者は『ジャジーな妖精たち』で二度と見るかと思い、
『ジプシー男爵』で持ち直したが、晩節をこれ以上汚されませんようにと老婆心(笑)が発動します。


芝居は、役者も大事だけど、脚本が大事だと、
99周年の、あの、筆舌に尽くしがたい『ベルばら』アタックを受けて、身に痛く感じ、
また植爺かよっ!と、まったく、ぜんぜん、観る気がなかった『風共』。
龍さんの女装がきれいなのは、ジャッキー@ミーマイでよく分かってる。
就任と同時に、退団へのカウントダウンが始まっているトップ男役に、
オスカルにスカーレットと女役をぶつけてくるのにも怒ってもいた。
チケットも買ってなかったのだけれど、都合が悪くなった友人から引き受けたんだよね。

前置きが長くなりました。
観て、大・大・大正解!!!

日生(2002年)版の『風共』が受け付けられなかった理由は、
メラニーとアシュレーが、スッと入ってこなかった、それは私個人の好みだけのモン題だと思うのだけど、
今回は、素晴らしかった。
宙版は未見だから何も語れないけれど、
メラニーが、メラニーがッッ!!
理想のメラニーを見たと思った。
偽善とまったく無縁の、透き通った純粋なまごころで、すべてを愛で包む人。
外見ははかなくて、明日にもふっと消えてしまいそうなのに、芯がすばらしく強い。
彼女の前では、争いも存在しない。
「天使」「神」。同じ世界に生きているのに、まったく違う存在。
今回のメラニーが、私にはそのように見えた。ただただ、ありがたかった。

メラニーってこんなに大事な役だったのね。
トップ娘役に、トップさんと結ばれない役をやらせるなんてと、宙組のキャスト発表に憤慨していたのだけれど、
メラニーこそがこの話の中心じゃないか。
スカーレットが、派手に人々を振り回した結果、騒動が起こりまくる。
その他にも色々な人の心から生じた争いがおこる。
それらを静かに、確かに収めてしまっているのが、メラニーだ。
スカーレットはタラの土を掬い、明日への希望を諦めたりなぞしない!と腹の底から叫ぶが、
メラニーは、人々の母なる土、そのものだ。

アシュレーの「僕のすべてはメラニーだった」に、「分かる~!!」となる。
彼女が傍にいてくれたら、恐れも何もない。
百万の味方を得るどころか、神、我と共にあり状態だから、堂々と、自分の望む道を歩いていくことができる。
光を失った人が崩れるのは当然だと、取り乱すアシュレーのへたれぐあいに思った。

ベル・ワットリンクが「あの人は神様なんだ」とすがり、彼女の役に立てるならと頑張る姿に納得する。
あの人が助かるのなら、我が命はどうなっても構わないと必死に祈る姿に涙した。

派手に物事を引っ掻き回すスカーレットと違い、メラニーは、表立って動くわけではない。
静かに穏やかに、でも強く、確かに、そこに、いる。
“あなたの帰る場所はここにあります。いつでも帰ってきなさい、喜んで迎え入れましょう”
透き通った微笑を絶やさない、誰にも平等に、彼女は対する。
怒りも悲しみもやるせなさも、ネガティブな感情を、彼女はその穏やかな笑みで引き取ってしまう。
彼女の前では、誰もが、自由になれる。
だから、誰もが、心から、彼女を求める。
アシュレーもベルも、バトラーも、ピティパット(叔母)も、スカーレットも、彼女を頼りにしていた。
アシュレーとスカーレットのスキャンダルのときも、メラニーが静かに動じず微笑んでいるままだから、
家の中までは巻き込まれなかった。

(以下、長いので、追記の部分にたたみます)

<メラニー以外の人たちについて>

スカーレットは、“※ただし、イケメンに限る”の女性版。
五歳児が外見だけ、絶世の美女になった状態。キャンデーでも食べたのか。
かわいいきれいとちやほやされて、特別扱いされるのが当たり前と、欲望のままに生きている。
もちろん、意のままにならないこともあるのだけれど、すぐに忘れ、なかったことにできるおめでたい頭の持ち主だ。
他人の気持ちを思いやるという感情は彼女の中にないものだから、他人を傷つけてしまったことに対する
罪悪感に苦しめられることもない。すぐに忘れる彼女は、大抵、ハッピーだ。
悪いのはいつも他人で、精一杯やった自分は悪くない。だって仕方が無かったんだもん。
彼女の中で、いつでも彼女は正しい。

彼女の特別扱いが納得できる凄まじい美貌は、彼女の最大の武器であり、不幸でもある。
もし、彼女が美女じゃなければ、少なくてもふつうの美人だったら、
もっと早く、世の中には自分の思い通りにならないこともあると学習でき、違う生き方が出来ただろうに。
いや、この三歩歩けば忘れるようなスカーレットなら、学習もできんか。
説得力のある輝く美貌がなければ、大変不遇な目に陥っていたかもしれない。美貌は不幸と書いたが、福音だったな。
明日がある、と信じ込める強さは、素晴らしいよね。


バトラーには、長年にわたる、肩肘張ったすさんだ生活で身につけた「悪」の下の純が感じられた。
お金持ちになり、いい暮らしをする前には、苦汁、辛酸をなめた生活が続いていただろう。
彼に害意を向けてくる沢山のものたちに貶められたり、罠にはめたり。
ひねくれて悪く見せたほうが自分の心も体も守れるのだ。
ひねくれていて、やり手のようで実は不器用で、でもその奥にはキラキラと輝く少年が息づき、また、大きなやさしさもある。

世の中の善意を信じられないバトラーにとって、相手が自分のためによくしてくれるのが当たり前のスカーレットは、
さぞかし新鮮だったろう。彼女はいつもまっすぐ。生き生きと暴れるスカーレットがかわいく、何でもしてやりたい、この輝きをとめたくないと目を細めている感じがした。
スカーレットの頼みで、タラ行きを強行するが、戦場で傷つき苦しんでいる南部兵を見て、たまらず加勢する。
世の中上手く渡ってこそですよ、と斜に構えていても、中身は暑い。南部の誇りを持ったイイ奴だ。
バトラーにとっても、メラニーは救いになっていた。
聖女メラニーの前で、彼は弱さを隠さない。
素直な心で告白し、赦しを求め、そして解放される。


ベル・ワットリングは、誇り高く愛に溢れたきれいな心の持ち主。彼女の心は貴婦人だ。
下品な立ち振る舞いをわざとすることで、このような仕打ちを受けるのは当然だと、
自分が置かれている状況を納得させている感じがする。
真面目で素直だから、自分に向けられた侮蔑の心も、優しい心も、人一倍しっかりと受け止めて感じてしまう。

大きな愛の人でもある。愛する男の心がスカーレットに釘付けになっているのを、否定せずに受け止め、
彼の愛する男の幸福のためと、恋敵のところに送り出すことができる。
「あの女(スカーレット)はどうでもいいが、メラニーさんだけは」と、スカーレットの要請を推すのには泣けた。
私が泣いたのは、ベルとメラニーのところばっかりだった。 

北軍に家に乗り込まれたスカーレットたちを助けようと奮闘するバトラーに協力したベル。
すれたように見せても、どんなに怖かったことだろう。
でも彼女は彼女の愛するバトラーと、彼女の崇拝するメラニーの助けになるんだとやりきった。
スカーレットは相変らずのアホんだらぶりだったけど、平静を装ったメラニーの強さに感じ入り、
彼女の力になれたことを、心から喜んだと、ベルの目でメラニーの微笑を追っていた私は思った。、


マミーは。スカーレットに振り回されて、考えることを諦めた人だと思った。
スカーレットは マミーが何があっても彼女を肯定してくれる(身分差と長年の癖で)から、
安心して暴れているように見えた。




<お話しについて、勝手がたり>

敗戦や、貧困や、裏切りや、投獄や、本当ないろいろなことが、彼らの周りに起こったけれど、
それでも何とかやってきた主要人物たちだったが、
スカーレットとバトラー、メラニーとアシュレ、二組の夫婦、四人の奇妙な共同生活は、
メラニーの死で空中分解する。

我慢強いバトラーの心を何度も踏みにじり、
彼女を愛しているゆえの嫉妬で消耗している彼の心を、
メラニーの死でショックを受けている彼女を支えようと、愛情をめいっぱい溢れさせて手を広げたバトラーを、
スカーレットはまるでいないもののようにスルーし、アシュレーに突進していった。

バトラーの太い辛抱強い愛情の糸が、ブツっと切れる音を聞いた、気がした。

森で屈辱を受けたスカーレットの誇りを守ろうと突撃した夫が生死不明であることをまったくの意の外にし、
スカーレットはアシュレーアシュレーと騒いでいた。夫のことはバトラーに言われて初めて思い出す。
死んだといわれても取り乱すことはない。最初の夫のときと同じように。

何度裏切られても、利用されても、辛抱強く、愛情深くスカーレットを受け入れていたバトラーも、
スカーレットにとっては、あてつけで結婚した最初の夫、お金目当てで妹の婚約者をモノにした二番目の夫と同じ。
彼女が求めているのは、アシュレーだけ。
どんなに努力しても、尽くしても、守っても、バトラーの存在が入る余地はない。
バトラーの悲しさが空気を伝わって振動してきた。
どれだけこの人は、心の涙を流してきたのだろう。

報われず、「悪気なく」裏切られ続けるのに耐えるのにも体力がいる。
今回のバトラーは、スカーレットよりかなり年上に見えて、その分安定感と余裕も感じられたが、
年をとるということは、心の基礎体力も弱るということでもある。

スカーレットはいつも、彼女に都合がいい明日を求め、彼女にとって理想的な幻想を追いかけている。
長く見ていたアシュレーは幻想で、実在していなかった、と知ったショックと空虚さに、
彼女の身の回りに初めて視線を落とし、
また、メラニーが苦しい息の中彼女に与えた教えをショック療法で思い出せたこともあり、
やっとバトラーが彼女を深く長く大きく愛していてくれたことに気付いたが、
時すでに遅し。
彼女の行為に深く傷ついているバトラーに、傷つけ辛い思いをさせたことを謝罪することが出来れば
結末は変わったかもしれない。

スカーレットには相手の気持ちになって考えるという観念がすっぽり抜け落ちている。
バトラーが気分を害しているのが自分のためだということは理解したが、
彼が深く傷ついていることまでは分からなかったらしい。
「私が悪かった」と謝罪の言葉を洪水のように浴びせたが、
どうして悪かったのか具体的には何も言っていない。
謝ることでバトラーの機嫌が直ったら、あんなに私だけを愛してくれた彼だもの、
上手くいくと信じ込んでいる。

たとえ、その場を上手くとりなすことが出来たとしても、三歩歩けば忘れる頭だ。
ほとぼりが覚めたら、こんなはずじゃなかったと勝手な幻想を追いかけ、
バトラーはそれに付き合わされることになると予想される。 

バトラーは去っていった。彼女は派手に泣き喚んだ。いつものように、他の人の同情を引くようにオーバーに。
しかし、明日になれば、けろっとしているだろう。

スカーレットは変わらない。
容貌は、加齢という影響で衰えていくものだが、三歩歩けば忘れる頭が変わらなかったら、
妄想の世界で楽しく生きていけると思われる。大丈夫そうだ。

自己愛型人格障害の人は、他人に対して愛情を抱けない。
自慢話が大好きで、好都合なことは自分のおかげ、不都合なことはすべて他人が悪いという考え方をする
他人に感情移入することができないので思いやりもなく、他人から観て感情の浅い人物に見える。
自己愛型人格障害の人にとって、自分以外の人間は、自分を賛美し、もてはやすためにいればいいだけの、
「物」のような存在。

私は初めて、まともにこの作品に向かい合ったのだけれど、見終わった今は、
ポスターにあるコピー『スカーレット・オハラという生き方がある。』に、
ふーん、よかったね、以外の気持ちを持てない(婉曲的表現)。

誰だって生きる権利はある。自分が主役の人生を、思うように生きられたらすばらしい。
だけど、だからといって、他の人の権利を侵害して踏みにじって、自分だけのために生きていいわけじゃない。
スカーレットと同様の傾向(障害とまではいえない)の母を持つ娘は、
『スカーレット・オハラという生き方』をたたえたくなど決して無いし、憧れもしない。
バトラーに捨てられたスカーレットに、ざまあみろという気持ちも起こらない。
これだけ書いたので説得力がなさそうだが、『スカーレット・オハラという生き方』に心が動かない、興味が無いのだ。

『メラニー・ウィルクスという生き方がある。』
私はこの舞台の真の主役は、メラニーだと思っている。
すべてを受け入れ、赦すことが彼女の強さになっていた。
メラニーの生き方には、大いに興味がある。
どのような環境が、神のような女性を、穏やかにたたえられた深い湖の水面のような、
静かに深く、強く美しい女性を生み出したのか。彼女の心の奥にある静寂に惹かれる。
彼女の子供時代はどうだったのか。
舞台で描かれていない彼女のいき方を、強く知りたいと思う。

スカーレットは人を傷つけ、「お願い」をして彼女を愛した男たちを振り回したけれど、
人を本当の意味では動かしてはいない。

行動は心から生じる。
人に勇気を与え、心を動かし、誇りと喜びを持って行動に移させたのは、メラニーだった。

メラニーには到底なれないけど、どのような環境であっても、心の奥底に高潔な魂を、
純粋なまま保ち続けたベルに近づくことができたらイイナと私は思う。



<余談。>

バトラーのショートブーツ(?)のポワントかと思える甲の形状はどうしたことだろう。
翌日、定期演奏会で指揮をする佐渡裕さんを見ました。
佐渡さんでかい、足長さ大きい。足平たい! 
トド様は足指の先まで、頑張っておられるのだなあと、
その素晴らしい、そこにいるのはタカラジェンヌが演じるバトラーではなく、
バトラーという屈折はしてわかりにくいところがあるけれど、その奥は傷一つ無い純粋さが光っている
とても魅力的な人物しか思えないバトラー芸に感激しました。 
いつまでも続けて欲しいです。

龍さん独特の母音伸ばしの粘りが、非リアル感を出していて、
異常性格のスカーレットだけれど、これは非現実だと、お話しのせかいと思え、
それほど嫌悪を感じず、自分の体験もオーバーラップすることなく感激できて助かりました。
(これを実在する重力たっぷりに演じられたら、途中退席したかも知れん…)
あほかわいいのも救いでした。
ひどいことをしちゃうのもしょうがないのよ、だっておバカだから、で流せるのは良いですな。

観劇後、バトラー涙の「さよならは夕映えの中で」が残っていたのに、
一日たったら、
「アトラーンタ、アトラーンタ。ランランララララーン」のトルネードアタックで侵略されたのに、
『ジャジーな妖精たち』の悪夢再びかと思いました。繰り返し多すぎや。

スカIIは娘役さんだと思いこんでいて、知っている娘役さんが当てはまらず、
お隣の方(友人のお姉さん)に尋ねて驚きました。たしかに、言われたらその人の顔だよ。
スカーレットはまだ、わざとらしい「きゃぴっ」にあざとさを感じたけれど、
IIはまったく娘役だったよ。首が細くてきれいでした。娘役のほうができる役の幅が広がりそう。
ちゃぴさんのように。

ちゃぴさんに叫びたい。あんたが大将!
トドさんのバトラーはもちろん素晴らしかった。
でもあなたのメラニーが無ければ、こんなに心は動きませんでした。
後半は、メラニーを見るたびに、ありがたさで泣いていました。
浅田真央さんのスケートを見るたびに泣いてしまうように。

ミード夫妻は、いちいちツボにはいって、大変私好みでした。
ミード博士は、特に新築祝いのシーンに、南部の男の誇りと義理人情のせめぎ合いを
ミード夫人は北軍が来たとき、ベルの芝居に乗って迫真の演技を見せたところに、夫への愛を感じ、染みました。


<メインキャスト、自分のための覚書>(敬称略)( )内はスカーレットとの関係
 バトラー:轟、ベル:光月
 スカーレット:龍、スカII:凪七
 メラニー:愛希、アシュレー:沙央
 マミー:汝鳥、ジェラルド(父):飛鳥、スエレン(妹):花陽
 ミード博士:星条、ミード夫人:萌花
 チャールズ(夫1):紫門、フランク(夫2):煌月

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プロフィール

たまり(ょ)

Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

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・「某Oさん」や「花柄の君さま」などと表記させていただいている声優さんのファンなので御出演作♪
『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
・『電王』以降のスーパーヒーロータイム
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