お決まりの日々?

モモの節句でございます。

花2014『エリザベート』(その1)

 『エリザベート』のチケットを、入手してもらえ、観劇が叶いました。自力では無理でした。
 ありがとうございました。

 全体的には低調。
 でもすっごく好きなところもある! 絶賛脳内リピート中だモン♪

 歴代最高のシシィ役者という話がでているらしいが、少なくても今日は思えず、
 良くないという話を聞いていたエトワールは、やっぱり役代わりをしたほうがいいと願った、
 子ルドルフは、とうこさんやグンちゃんが演じたすばらしい役だったはずなのになあ、
という感性なので、この三人のことは、良く書くことができません。

 今の花組で一番好きな方の退団公演なので、マイラブ一花さまのことはいっぱい書きたいけれど、
書きすぎると照れちゃう(我ながら気持ち悪い)。

 8つのエリザベートで、一番好きなのは2002年花組。
(霧矢フランツの壁を越えない処世術も、全て意のままに動かしていた疑惑が消えない霧矢ルキーニは大好物。
 高嶺フランツは色気過多で歴史が変わりそうだった)

 注意書きおわり。
 「追記」欄からが感想です。いくつかに分けます。殴り書きのアウトラインはあるので、ぼちぼち書きます。





 フィナーレの幕開き、みっちゃんの歌唱で、今日観たお芝居で欠けていた部分がやっとわかった。
 この作品は、「オレ」が一人称の絶対的存在(死)が、
少女の形代に宿った、入れ物からはみ出す圧倒的パワー、生命力に感電し、
感激のあまり思わず、「僕」と素直になってしまった、
 それが「恋」の始まり。
 この歌で表現されているのは出会いの衝撃と、目がくらむほどにまぶしい光、
エネルギーの塊である彼女を追いかけていこうとする、恋の始まりと決意。
 この後、死がエリザベートが苦難を乗り越えていく姿を見守るうちに、
恋は愛に変わり、エリザベートもトートの存在を拒絶から受容するようになり、昇天する、
二人がひとつの存在になる話なんだなあ。(その後の夫婦漫才が浮かんだ公演は、私には一つもない)

 それが本編ではわからなかった。

 サーカスに執着したり、突然綱渡りをはじめたり、お見合いの道中、お見合いの最中という一大事にすら、
せわしなく動き回っているのは、じっとしていられないほどにエネルギーが余っているから、
あふれてしまっているから。
 『私だけに』の歌詞にあるように、細いロープをよじ登り、スリルに耐えて夜空を見下ろす、
すぐそこにある死を感じることで、自分の生の熱にゾクゾクと悦びを感じてしまうエキセントリックな人なのだ。
 本編から感じた、おてんばな私ってかわいいでしょ、みんなこっちを見てを狙っての行動ではなく、
そうしないと爆発してしまいそうな光のエネルギーを、その小さな体の中に無理やり収めているから。
 永遠のときを生きていそうな「死」が、感電してしまうほどに、エキセントリック、人離れした存在。
 そして黒天使をそろえる耽美趣味の美意識を満足させる、圧倒的な美。
 この両方がないと、話が成立しない。普通のちょっとかわいい少女じゃ、
青い血が流れる黄泉の帝王は、恋なんてしない。
 瀬奈シシィは、くるくる変わる表情と爆発的なエネルギーがとてもまぶしく、釘付けになってしまった。
 観客が目を心を奪われない存在に、どうして圧倒的な存在である「死」が惚れちゃうの?
 圧倒的な美、もしくは、少女の姿からはみ出すパワー、どちらかはあって欲しい。
それらが感じられない彼女に、どうして死の帝王トート閣下が惚れたのか、皆目検討がつかぬ。
頭の中には常にクエスチョンマーク。

 トート閣下はおかめ専かもしれないので
(だるまが幼児虐待に見えてしまったシシィ役さんを見慣れていたフランツにとって、
 肉感的なマデレーネのおみ足は、さぞかし衝撃的であったであろうと納得させられたことだし)美醜はさておき、
エリザベートはエネルギーの塊でなければならない。そのパワーは死の帝王トート以上。

 先生と生徒的な関係で、父と相手役を二分する『ファントム』と違い、
『エリザベート』はトートとエリザベートががっぷり組んで、戦う話。
 エリザベートは、彼女の魂の自由をかけて、ゾフィやフランツらとも戦っている。
 エキセントリックな規格外エネルギーの持ち主だからこそ、
万人を見てきた「静」のポジションの「死」すら、動かしてしまった。
 生身の人間ならひとたまりもない。
 母ゾフィの言うことが絶対だったフランツは衝撃を受けて、母の意に反した行動を衝動的に取り、
ハンガリー民衆は彼女の「美しさ」の源であるエネルギーにのけぞり、「エーアン、エリザベート」と喝采した。

 でも今日の舞台から感じたものは違ったのだった。今日だけ不出来だったのかもしれないけれど、
お披露目公演トップ会からも全部お断りがきたという話を聞いたほどにチケットのない公演なので、
比較することはできない。

 芝居は相手役があってのこと。
 主演の人はもっとパワーがあると思っていたが、彼女が本来の力を出すと、
トートを屈服させるほど圧倒的なエネルギーを持つはずのエリザベートが霞んでしまい話が成立しない。
トートとエリザベートは陰と陽、互いが互いの裏である存在だから、
片方が弱ければ、それにあわせざるを得ないのだろう。

 そして「若い」と思った。永遠に生きている存在なので若くてもいいのだが。
人外の存在であることは感じられた、しかし圧倒的な存在感には乏しく、
青少年、男子高校生に見えたと幕間に先輩に話したら、
「体育館の裏で待ち伏せしている高校生」というキーワードをいただいた。
 第一幕を見ながら、私はテレビ大阪で再放送中の『スラムダンク』主題歌
♪君が好きだーと、叫びーたい! 勇気で踏み出そーうー 
 この熱ーい 思ーいを 受け止めて欲しーいー
が似合いそうだと思っていたが、何もいわずに同じもの「体育館」を想起させられていたのだった。
 百戦錬磨の死の帝王を、思春期に戻してしまうほどの衝撃が、今日のシシィにはあったらしいが、
私には感じられなかったのが残念だ。
 思いを熱く胸に燃やす、みりおトートは好きです。男子高校生っぽくてもでいいじゃない♪ 

 トートとシシィという真ん中に求心力を感じられなかったから、周りが良く見えた。
 劇場で見ると、裏表の存在である主演二人のどちらかもしくは両方に気持ちをもっていかれ、
DVDなどで見て初めて、気づく芝居の部分があるのに、今回はこんなところにヴィン嬢役の人がと
探すことができた。発見のある舞台だった。

 二幕のヴィン嬢には視線を持っていかれた。彼女が視界のセンターポジション。
時々、彼女の周りにひょこっとうつるエリザベートが見えた。
 精神を病んでしまった哀しさがあった。キ○ガイだ、近寄りたくないとは全く思わなかった。
彼女の苦しさを和らげることができたらどんなにいいか、と祈りに似た感情が沸いてきた。

 マイラブ一花さまを見納めなければ、という気負いもあるが、やはり彼女には自然に目が行く。
皇太后ゾフィが宮廷の中心であることに、全くの疑問を感じさせない。
 老いても、気品があり、老人として背筋が伸びている。
 この物語では、トート組以外には等しく老いが訪れているはずなのだ。
 しかし、今日の公演では例外がいた。
 プロポーズされたときと同じ声質で、同じメロディの『夜のボート』を歌ってる女性である。
 フランツの気持ちは変わらず、エリザベートに愛を向け、彼女に皇帝という仕事を理解してもらうと願っている。
彼女の気持ちは、『嵐も怖くない』とはしゃいで彼の愛を受け入れた若いときと、
夫を信じることができず拒絶した晩年では真逆であるのに、声質は同じに聞こえた。
 フランツの歌声は張りがあるいい声なのだが、青年の時と、老年では、その張りの質が違っている。
 彼女だけが変わらない。一幕の結婚翌日、寝室で自死のためのナイフをトートに跳ね除けられ、
床に倒れた髪の乱れ方に貞子を連想した。下付けまつげを目の縁から下に置き過ぎたためか
閉眼すると白目をむいて倒れているようで、怖い。
エネルギーに乏しいし、きっとシシィはロープから落ちて死んで、
ゾンビとしてよみがえったのかと思ってしまったが、「夜のボート」を聞く限り、そのようである。

 彼女の協力を求める皇帝に、息子を姑から取り返さない限りはNOと、駆け引きにまで出た
最愛の息子、彼女の唯一の理解者と甘えていた息子を失ったときの泣き方が、
「今日の晩御飯は抜きです」と親に叱られ、晩御飯が食べられない悲しさと、
親が考えを変えてくれないかと、アピールをしながら泣く子供のように、聞こえた。
(おもちゃを取り上げられて、ワーンと泣いてアピールすることで取り返そうとする子供でもいい)
 この場面大鳥シシィの、押さえようとしても魂のそこから血とともに噴出してくる慟哭に、
感情は引きづられ体が冷える思いがしたものだが。
 瀬奈シシィもそうだが、あれほど生命力にあふれていた人が、消えてしまいそうなほどに薄れていた、
その差に、彼女の絶望の深さを感じた。
 今日のシシィはまだまだ元気。もともとのエネルギー値も高くないから、ごはんやおもちゃをもらえれば
ケロッと泣き止みそうで、違和感があった。

 トート派以外の登場人物が等しく老けて行くはずの第二幕で、彼女だけは年齢や人格が
場面ごとに変わって定まらない。
 メインの存在に気持ちが沿わないから、泣けもせず、心力の消耗もあまりなかった。
 話には関係なく、この衣装が着られて嬉しい、このシーンを演じられて嬉しいという気持ちが、
場面にかまわず出ているランハナさんには、「よかったねー」と低く思わないではない。
幸せそうな人を見るのは、心地よいものであるはずだからな。
 ルキー二は、大好きな閣下に与えられた役目に、彼自身が納得行く成果をあげていることで重なる喜びを感じ、
最後に彼の殺人衝動を満たす得物を与えられて目を輝かすと、ルキー二として実にうれしそうに生きていた。
生命力にあふれる彼が舞台から消えると、次の出番はと待ち遠しかった。
 “ぅわんぅわん”感にめまいに似た不安定な症状が発生し、体力的に消耗した部分は、ある。

“ぅわんぅわん”感については、その2に。

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Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

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・「某Oさん」や「花柄の君さま」などと表記させていただいている声優さんのファンなので御出演作♪
『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
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