お決まりの日々?

モモの節句でございます。

花2014『エリザベート』(その2)

 2002年花組東京宝塚劇場のプログラムを出してきた。

 東京公演のプログラムだから舞台写真が載っている。
 霊廟のシーンでみどりシシィが泣いているシーンの写真、見るだけで当時の気持ちが
よみがえり、泣けてくる。
 大鳥さんへのインタビュー、トップ娘役としての自己採点、
技術点は70点(高すぎかと自己つっこみあり)、魂は95点くらい。
  そう、大鳥れいさんの芝居は、魂からほとばしるエネルギーに満ちていた。

 公演が終わった後、パンフレットに一花さまのコメントがあるかと期待してキャトルレーヴに寄った。
 表紙、せっかくの力があるきれいな瞳の輝きを、ベタっと均一にするカラーコンタクトはもったいないと思った。

 舞台写真も売り出されていた。店内BGMはエリザベートのベスト集? 『私が踊る時』(ライブ録音)が流れてきた。
大鳥さんの高音は、すーっと抜けるように美しかった。春野さんの声はしっかり寄り添っていた。
 本来は逆なのだろうが、響きまでてんでばらっばらのこの日の公演、
『私が踊る時』では目を伏せてしまったあのシシィのあまりの差に、ライブ録音CDの歌声は染みた。
大鳥さんの上手さを泣きたいほどに感じていたそのときの私には、シシィのエネルギー値をトートより高く感じてしまった。
 二人連れの女性客から、誰が歌っているのかと声が上がった。
この日の公演の“ぅわんぅわん”に辟易としていた私は、シシィ役のことかと早合点して、
大鳥さんと言ってしまった。一人は大鳥さんのことを知らないファンだったが、もう一人は
トートは春野さんと補ってくださった。私のひいきかも知れないが、その小さな場に流れた空気は、
上手いと、この歌に好意的なものだった。
 曲が変わった。少年時代のルドルフの『ママ、どこにいるの?』、
安蘭けいさんが歌っているのを聞きおえて店を出た
 この二曲と、この日劇場で聞かされたものとのレベル差は圧倒的、絶対的。同じ劇団とは到底思えぬ。

……というわけで、感想(その2)は歌についてとその他。

 全くチケットを取れず、一回何とか見られるようになった公演で、
私が見た回以外は、ここまで酷くなかったのかもしれないのですが、
(フィナーレのパレードのときのマイクが、全体的に、入ったり抜けたり不安定な回でした)
検証する手段(別の日のチケット)が私にはないので、そのときに受けた気持ちのままを書きます。

 注意書きは(その1)に同じです。
 悪い例として、特にタイトルロールさんと、エトワールさんにきっついです。

 この夏から、歌のレッスンを再開しました。そんなわけでこの舞台に、私は非常に感謝しています。
悪い例と良い例、あと少しの例を、一度に見聞きすることができたから。
 先生が「ダメ」とおっしゃるものを、実感できました。私も公演に向けてがんばります。



「追記」部分に続きます。


 伝わる歌とそうでないものがある。
・言葉とイメージが伝わる。
・ひらがなでくぎった音が、マイクのエコーでわんわんと、子音を不明瞭にした状態でやってくる。
ではまったく違う。

 同じ客席で聞いたのに、全く違うように聞こえる。
・もともと響くきれいな歌声だから、マイクに乗せても心地よく届く
・響きのない「音」に、エコーで強制的に響きをつけて、さらに増幅したにごったよどんだものを押し付けられる
もまったく違う。

 タイトルロール役さんのマイクにエコーがかかりすぎているのか、
相手役さんたちとのデュエットの音質がまったく異なるように、私の耳には聞こえる。

 私の耳は、突発性難聴を何度か経験した、その最後からこちら耳鳴りが残る耳で、
健常な人ではノイズに思われない音に、不快感を覚えるような、普通ではなくなってしまったものだから、
受け手の私の問題かもしれない。

 公演を見た日の一日前、放送があったFaOI。
 ライブ中継では、私のお気に入り大手ブロガーさんのコメント欄で、
フィギュアスケートファンが、期待していたものと違ったと情報を下さっていたので、
ライブを録画したものも見ずにおいていたものを、昨日の編集されたものと一緒に再生した。
 スケートがメインと思ったら、メインは歌手。またその歌が、特に張り上げる系の曲では、
私の耳には聞き苦しくて。スケーターは見たいので三時間がんばって見続けたあと、
これ以下のものはあるまいと、エリザベートは大丈夫だ、と変な自信ができて、臨んだのだけれど
甘かった。
 帰宅してから、ちょっとだけ見たCOIベストで、きれいなソプラノの歌声で演技するものがあった。
 聞きたいのはこの音だ、と思った。

 「私だけに」は、咽に力がはいっているのが、オペラグラスでよくわかった。
張り上げる系は、ほんっとにだめだな。
 あとは、ささやくように歌って、マイクで増幅して、エコーを最大限に掛けて、
音として流している感じ。
 マイクのことは、まったく知らない。
 しかし、オペラ歌手の生音と違い、マイクに乗せた音は、全体が増幅されていて、
人間が心地よいという高周波の部分(←歌の先生の受け売り。出ていたとしても少なさそう)も、
その他の部分も均等に強調してしまっているから、
“抜けるような”透明感、スーッと抜ける感じが無いように、今の私の耳には聞こえている。
“いい周波数をたくさん出しているから、心地よく届く”のだとすると、
他の周波数も均一に増幅された音は、わんわんと濁流のように渦巻き、耳障りである。
 「こもる」「にごる」と表現される、悪い例だと思う。

 先日受けたコーラスレッスンで、子音は前、母音は後ろ(に響かせる)という指導があった。
 エコーを掛けすぎると、破裂音の子音がぼけるように、今日思った。
というのも、こんなに大きくされたのを聴いた経験は、街頭演説の拡声器ぐらいしか思いつかないからだ。
 ハンディ拡声器による声は、それでも子音は届いている。
 子音が不明瞭になるのは、わんわんと音が交じり合うまでのエコーによるものだと思う。
 それは、ソリオの吹き抜けのある会場で、音を届けるために音量を非常に上げていた
歌イベントと同じ現象だった。
 駅を上がる階段でも聞こえるほどの大音響の、にごった平面的な音を聞いたときに、
上記のことを確信した。

 タイトルロールさんの歌、驚くことに音は大体において出ていた。
 前公演までのあれはいったいなんだったのか。これがお披露目公演であればよかったのに。
 最低限音を外さなくなるまでは、トップ娘役にしてはいけないと思う。
 娘役の「若返り」を望むのは誰なのか? 3人の相手役をした退団公演ですらまだ若い。
芸の力があるから、美輪彰宏さんは、舞台の上では美女に見える。
 そこまで芸の力を育てろとは望んではいないが、せめて新人公演は卒業するような年代までは、
しっかり娘役スキルとともに、舞台の技術もレッスンして欲しい。

 タイトルロールさんの歌声、メロディラインが音の上がり下がりと伴ってがたがたになるのは、
調教に失敗した初音ミクをマイクで増幅したような。
 エリザベートの歌は歌ったことがあるから、歌詞は知っている。なのに、
意味が想像できないのは、一音一音、くぎって、ばらばらのひらがなで歌っているからだと思う。
 パレードのときは、口先だけで出しているのを、増幅しているように聞こえた。

 同じ舞台で、一人だけ、音が異質だった。
 音質が違うので、ばらばらに聞こえる。左右のスピーカから位相の違う音を、
無理やり聞かされたような、もやもやした気持ちに支配されてしまう。
 単体でも耳障りだった。

 若いときも、戦い続け、大きな悲しみを乗り越えた晩年も同じ声質だったことは、(その1)でも書いた。
 それでもフランツのデュエット、特に第一幕のところでは、シシィのソロとは段違いに聞くことができた。
 上手い人と歌うと、引っ張りあげられるのは私も経験したことがある。
さすがの実力のみっちゃん、いやみっさまとお呼びしたい。
 これ以上は無理、と壁を作っていたようにも見えた霧矢フランツと違い、
北翔フランツは、わがままな子供のままのエリザベートを
そのまま包み込んで生きてきたように見えた。
「一度私の目で見てくれたなら」は、理解のない妻を責めるのではなく、
妻を守ろう、理解しようとがんばり続けた人生に疲れた彼の、弱音、嘆願のように聞こえた。
 最終答弁でも最後まで、妻を思って熱い。
早死にしそうなフランツだが、彼の温かさがとても心地よい。
 北翔さんの歌は、一つ一つの言葉がイメージを持って、きちんと届いた。
メッセージが伝わる歌。響きが豊かですばらしい。フランツの歌は楽器として響いていた。

 「楽器」と「拡声器+エコー過多」では、寄り添わなくて当然。

 この公演で気持ちがわかった人物は、フランツと、ゾフィ、ゾフィ一派の皆様、
そしてヴィンディッシュ嬢ぐらいである。
生き生きと舞台を跳ね駆け回るルキー二は、とても好き。

 この日の舞台のエリザベートさんから思ったことは、
・三歩歩けば忘れて「私」「私」の自己主張。
・自分大好きなのは悪いことだとは思わないが、自己愛だけで他者を尊重しない。
 他者は自分に良くしてくれて当然と、他者の人格を人間性を否定している。
・自分に注目が集まらないと、危険な奇行を企てる。
・他者の苦しみには目を向けず、○○してくれないと騒ぐ。
・ちっとは人の話を聞け。
だった。
 事実、そういう人なんだったと思う。
 なのに、悲劇の皇后と、後世にいたるまで愛されつづけたのは、
彼女に他人を魅了してやまない驚異の美貌と、輝きがあふれるほどに満ちていたから。
 その二つともに、納得させられるものでなければ、ただのいやなわがままお騒がせ女。

 エネルギーや美しさにも、ミュージカルだから歌が大きく貢献する。

 昔見た、「トゥーランドット」では、姫(この姫も性格最悪)、年齢がかなり上で太っていた。
 王子は姫よりかなり小柄なメタボ体型で、頭頂部の頭髪が不自由だった。
 しかし彼らはすばらしい歌声で、絶世の美女と誠実な素敵な王子として、
ホール全体に物語を現出させた。
 容姿が役柄の求めているものと離れていても、歌をメインにすえた公演では、
歌の力で、美形に見える。

 逆にどんなに美しい人であっても、歌がメインの公演で、歌がダメだと、
あちゃーと、耳障りの不快さに早く退場しろ、と思ってしまう。

 『前田慶次』で、主演さんの声が思うように出ていない日の公演を見た。
オクターブ上げたり、下げたり、
最後の主題歌は影ソロになっていた。
 その日の公演では、アクシデントに大丈夫かと心配な気持ちのなか、
本調子でないトップさんを守り、舞台を続ける組子の協調力に涙したのだが、
聞き苦しい声になっているのは、『エリザベート』でも同じだ。
 今からでもいい、「私だけに」だけでも影ソロにして欲しい。
 ヴィンディッシュ嬢のキャラクターを気持ちを歌で見事に表現した仙名さん、
演じたい役に「エリザベート」をあげていたぐらいだから、突然いわれても歌えるはず。

 その1に書いたが、仙名さんのヴィンディッシュ嬢は、歌で、
皇后を自称する彼女の高貴さと、自由を満喫しているようでいて、
精神疾患ゆえの不安定さを過不足なく、自然に表現しており、
私から、この哀しいヴィン嬢の精神の平安を願い祈る気持ちをも引き出した。
 響きもすばらしい。もちろんあの“ぅわんぅわん”感もない。
演じている役に求められている硬質な声質を、哀しいまでに響かせた。
 表情に動きも真に迫っているのに、怖いとか、離れたいというマイナスの感情を引き起こさない
バランスのよさ。抱きしめてあげたくなる、すばらしいヴィンディッシュ嬢が舞台の上に生きていた。
 (その1)に書いたように、このシーンは彼女に釘付けで、エリザベートは背景の一部どころか、
視界からほとんど消えていた。

 チケットを取ってくださった先輩は、この公演は、次期トップ娘役を意図的に隠していると指摘された。
 次期トップ娘役ともなると、ルドルフ少年時代やヴィンディッシュ嬢など主要なキャラクター、
歌ナンバーを任せられる役どころになるはずだが、ソロで歌うことのない「女官」。
 今回、すばらしいゾフィを演じておられる一花さまが、2002年の花組公演で演じられたのも
「女官」だった。新人公演でエリザベートを演じた役者がエトワールと担当するのは同じだが、
遠野さんはヴィンディッシュ嬢で、観客を恐怖に巻き込んでいた。

 そのエトワールは、うわさどおり酷いものだった。拍手もまばらに聞こえたが仕方あるまい。
 しかし、新人公演で、タイトルロール用に特別調整されたマイクを貸してもらえれば、
本役さんとどっこいどっこいの歌に聞こえさせることはできると思う。


そのほか。
・ルドルフ(芹香さん)は、心配がぶっとぶ安定感があった。成果が出ているのがわかるのは嬉しいもの。
見た目も皇太子らしくで良かった。

・マデレーネのシーンは、すみれコードぶっちぎり!
 青年誌の絵。私の乏しいライブラリーから浮かんだのは、ジョージ秋山先生の絵。
 きれいなのだがとても肉感的。
 ルキー二が、マダム・ヴォルフのコレクションを楽しんでいる男ども、いいなあ、
オレも、とマダム・ヴォルフのスカートをめくって太ももを触っているのもツボ。

・だいもんに刃物、と言葉が浮かぶのも楽しい♪ 
最初に銀橋にルキー二が出てきたとき、雪組のともみんは足長で本当にスタイルがいいなあと思いました。
 だいもんは、そんなに大きくないよね? 
でも舞台で見ているうちに、どんどん大きく見えてくるのは、彼女の持つ芸の確かさ、強さだと思いました。
 楽しそうで、生き生きとしたエネルギーが発散されているようなルキー二をもっと見ていたい。
 ルキー二が飛び出て見えるので、彼の紙芝居を見ているようなそんな感じを受けた。
(シーンごとにぶつ切りなのも、紙芝居紹介という印象を強めた)
 美女は、「エリザベート皇后にそっくり」と紹介されたなぎなさんと、隣の「みやるりかちゃん」。
 男役なのにちゃん付けなのは、きれいなお姉さんだったからですね。同期愛がほほえましい。

・一花さまのスカート裁きは、本当にきれい。
 彼女は自身も光り、その上で組んだ男役全てを輝かせるすばらしい娘役さんでした。
蘭寿・桜コンビが好きでした。蘭寿さんの相手役だった娘役さんは、ダンスが上手いという評判でしたが、
私は一花さまの凛とした気品が四方に発散されるダンスがずっとすばらしいと感じていました。
退団はとても残念だけれど、96期のサポートをさせられる彼女の姿を見ると私が悲しくなるので、
良かったのかもしれません。
 壮さんが退団のとき、何でも演じたといわれたけれど、
一花さまは正統派ヒロインから小林少年、カルロッタやレディダイアナ、女王様、神様まで
芸の幅がすばらしく広かった。彼女の演技は、ダンス同様、自由で、気持ちよかった。

・この公演で、耳福だった、みっちゃんと仙名さんが主演コンビの『大江戸ナイトショー(ねずみ小僧)』と、
ともみんとだいもんが共演する雪組『ルパン』が楽しみです。

・みりおさんの新しい相手役が、彼女の魅力にダメージを与えない人であることを、
母のような気持ちで祈っています。(ゾフィーみたいに、「トップ娘の努めは~」などと色々言いたくなる人は勘弁)

・子ルドルフはがんばれ。役の少ないエリザベートでいい役を与えられたのだから、
東京楽までがんばれ!!!!!!!

・みりおのトートは、男子高校生みたいだったと書いたが、美しかった。
 先輩は、黒い衣装が学生服に見えてきた、と言った。そう言われると、詰襟の学生服に見えてしまう。
 詰襟で体育館で、好きな女の子を待つトート閣下。それも良いじゃないかと思わされてしまうのが、
明日海さんの魅力だと思う。
 外部のトートから見目麗しい「青年」という言葉浮かばず、食指が動かないのだが、
若く美しく清潔感のあるトートもいいじゃないか。
 足りないと思ったのはパワーだが、これは相手役が今の人である限り仕方がない。
 違う相手役で、明日海トートを見たかった。


 ノートに書いたことは大体書いたかな。
 心残りは、一花さまの舞台姿を、もう見られないこと。私が見たことがある彼女の役は、
みな好きで、心に残っています。今回のゾフィーはとても正しい高貴な人で、
高貴な人が、「出前の話」を平然とするところに、彼女が、宮廷唯一の男として、
乗り越え、守り続けたものの大きさと、また、泣き喚くガキの嫁をなんとかしよう、
嫁は手遅れでも、孫だけでも王家の人間としてまともな人間に育てあげようとする苦しさを思い、
彼女を守る男が誰もいない状況を哀しく感じました。
 偉大なゾフィー皇太后の死を、今回ほど残念に思ったことはありません。
 これでストッパーは無くなってしまった。ゾフィーの死が、私のクライマックス。
 その後は、病院訪問で小さなピークがありましたが、付け足しのようなものだと感じました。
 チケットがある公演で、DVDを買いたくなるような公演で、彼女を見納めたかったです。

 一花さまのタカラジェンヌとしての時間が、最後の瞬間までまぶしく輝かしいものでありますよう、
心から、強く強く願っています。

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Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

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『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
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