お決まりの日々?

モモの節句でございます。

桜ゾフィの教育が正しかった(2014花エリザ その3)

 2014年花『エリザベート』話、続き。

 この公演のゾフィが好き。ゾフィに肩入れすると、非常識な嫁にうんざりする。
 予定通りヘレネが嫁だったらどんなに良かったか! 
 番狂わせであの足らないわがまま娘が嫁になったとしても、
せめて跡継ぎの教育をきちんとしていれば!
 などなど、計画通りには行かずに来てしまった嫁がもたらした
ハプスブルク家の悲劇について思うと、その女性についてはいい印象は抱けない。

 個人として、タイトルロールに悪感情を抱かされ、敵対勢力に魅力を感じた今回の公演は、
『エリザベート』としては失敗じゃないかと思っていますが、
どんな駄作でも、自分がおいしいところを見つけるのが宝塚歌劇ファン、
私もこの公演でゾフィとルキー二、フランツ、ヴィン嬢を好きになれ、それなりに楽しかったです。

 個人的の感想です。見たものから何を感じるかは「自由」で、他の人の意見や、
公演評に左右されるようなものじゃない。
 そういう見方もあるんだ、なるほどな、と思うものもあれば、違う、誤解・曲解じゃないのと感じるものもある。
 私にとっては求心力のない公演で、中心以外のところに目や気持ちを奪われていたところもあるので、
見えてない部分も多いと思います。


 今まで(特に私に強い印象を与えたのは、大鳥シシィ、瀬奈シシィ)の印象は。
 自由な鳥だったのに、閉じ込められて、息をすることもできない状況に追い込まれている。
 唯一のエネルギー放出場所が、美しさに磨きを掛けること。
彼女が評価される場所は、そこしかなかった。他は許されなかった。
 がんじがらめ。
 「産む機械」のように扱われ、生きている実感を奪われ、屍のようになっていたが、
「私」を「美」という形で表現できると気づいた瞬間、生きている実感を取り戻した。
彼女がお飾り人形ではなく、 「人」として「生」きる術を見つけ、そこに集中していったゆえ起こった悲劇だった。
 彼女に助けを求める息子を自分のことで手一杯で、理解してくれると甘えた結果、自死に追い込んでしまった、
最愛の息子であり、彼女の分身で、唯一の魂の理解者である息子を失ってしまったことで、
彼女唯一の自己表現だった「美」にすら疑いを持ち頼れなくなった。
 彼女の人生はなんだったのかと思い悩む、しかし、元来のエネルギー値が高すぎて、じっとしてもいられず、
せわしない放浪の旅を続ける皇后を哀しく感じることができた。

 今回、私が見た回の2014花エリザから感じたことは、「ワタシだけ」。
あの耳障りなぅわんぅわんエコーで張り上げ声を修飾した『私だけに』のサビから受けた印象が
尾を引いたのかもしれない。
 ワタシが一番輝ける方法は美しいドレスで着飾ること。だから他のことはしない! 
 ワタシが、トップ娘役、じゃなかった皇后なんだから、一等良いものを着て、
置きまつげのぱっちりメイクをしなくっちゃ。
 私の美貌で国が救われていると夫は言うわ。庶民は私に守られているようなもの。
だから彼らの暮らしぶりなんて知ったことじゃない、ワタシの美の恩恵を受けているのだから、
ぐたぐたぬかすな、ワタシを賞賛しなさいよ、に見えた。
 宮廷のNo.1の権力者である皇太后から、主権を奪った象徴、
優勝カップのような息子を失うと、ワタシは不幸だとワーーッと泣いた。
 息子を追い込んだ夫が悪いとツンケンし(自分に悪いところがあったとは微塵も思っていない)
彼女のことが第一で何でもわがままを聞いてくれたいいなり夫が、浮気をしたと聞かされたら、
夫の置かれた状況を考えることもないし、ましてや言い分を聞くわけでもなく、
もう夫には頼れないんだとプッツンして放浪。
 夫がいくら謝っても、誠実に愛を誓っても、あんたごときがワタシにはむかうなんて、
絶対に許さないと鼻息荒く、誰かワタシを賞賛しなさいよと、あせる気持ちが足に出て……と、
「ワタシだけ」「ワタシは」と自己主張の激しい迷惑女のお騒がせ話に見えてしまった。
 それは、今回のエリザベートの根底にあるのが誰にも救えない深い絶望でなく、
怒りに見えていたからなのだと、観劇後一週間たった今は思っている。

  続きは、追記部分へたたみます。

 宝塚歌劇ファンの大先輩方との食事会では、大劇場公演中の組の話が良く出る。
 ちょっと前の話題の中心は『エリザベート』だった。
 「歴代一位」と言われているらしいが、リアルでは聞いたことがない、
今のタイトルロールさんへの評価は、この日も歴代最下位か下から二番目ととても低かった。 
 劇場から戻ったら何をしたか? と言う質問に、自分がよいと思っている公演のDVDを見る、で一致。
 そこからは今回の公演の話しは出ず、私たちが思うベストキャスト話で大いに盛り上がった。

 当日券を求めて徹夜騒ぎになっているチケットは、どこに行っているかも教えてもらえてすっきり。
証拠を出せるわけではないので、ここに書くことは控えます。
どこにチケットが行ったのか、客席の顔ぶれを見たらわかる、という言葉に納得しました。

 ルドルフ少年は、勇気を試すと猫を何度も殺したことを、誇らしげに歌っていた。
 佐世保の同級生殺害事件の加害者も、小動物を殺していた。

 エリザベートは、時には鞭をつかって子供をしつける姑ゾフィが酷い、自分が教育したいと、
彼女の協力を求める皇帝である夫の手助けをする条件に、子供を取り返せと闘争し、
彼女の希望を通す。
 その結果、どうなったか?

 小動物の虐殺に悦びを感じる感性を持った子供が、他に興味を奪われないままに育ってしまったら、
殺人など大きな犯罪に手を染めるかもしれない、と言われている。
 ダメなことはダメ、と厳しく仕付けないといけない場面がある。
 叱らない教育に加え、「ワタシが楽しければいい」「ワタシ第一」な母の背中を追いかけた少年は、
母にかまってもらえない寂しさも影響し、自分に甘い言葉をくれる革命家と仲良くなって、
重大なことと理解せずに、国家転覆に手を貸す約束をしていまう。
 革命家の野望は未然に発覚し事なきを得たが、
何をしていても、皇太子なんだから手元に転がり込むと見込んでいた次期皇帝の地位を、
父に「皇位継承権は考えなおさなければ」と告げられ、そこから努力して父の信頼を回復しようとするのではなく、
発作的に自死を選んでしまった。

 嫁に「酷い」と否定されたゾフィの、ダメなことはダメと時には鞭を振るっての教育の元育った息子は、
“マザコン皇帝”と揶揄されるが、このミュージカルでは愛情深く、立派な皇帝だった。
 彼は皇太后としての務めを果たしている母を理解していた。厳しいが母の言うことは正しいと評価していた。
 しかし、番狂わせで娶った女は、ことごとく皇太后に反抗した。

 彼女は郷に入れば郷に従え、ましてや皇后になるという特別な環境に入ることを、全く理解していなかった。
 フランス語の勉強は嫌と逃げ回って教師を撒いた、少女のころと何も変わっていない。
(今までのエリザベートでは、少女の場面に爆発的エネルギーを感じさせられていたので、
 さもありなん、と合わない世界に来てしまった彼女に同情し、気持ちが沿った。
 原因がきちんとあって、結果が出る。実に良くできた構成だと思う。
 また「美しい若い娘」にマザコンボーイの「息子ちゃん」をとられた姑ゾフィの
 嫉妬、荒れっぷりに嫌な気持ちになったものだが)
 今回のゾフィは反逆分子、不安要素を排除、矯正しようとしているだけで、まったく正しい。


 キャストが変わると、こんなに印象が変わってしまうのか。

・(歴代にくらべると、歌唱力による補正を含め)美しさとエネルギーにかける、「ただの少女」なシシィ
 きゃんきゃん吠える犬のようで、かわいいところもないではないが。

・愛情深く、一度飼ったペットは最後まで面倒を見ようとするフランツ。
 妻には散々噛み付かれるは、妻に任せた息子の帝王教育は失敗し、
跡取り息子は善悪つかないバカ、叱ると自殺する豆腐メンタルに育った。
 皇太子は死去、皇后は義務を放棄して放浪と、頼りになるものがない状態で、
国を治め続けた。
 ハプスブルク家に納まらない嫁を選んだのは自分、嫁のわがままを許したのは自分自身だと、
嫁は責めず自分に原因を感じている。
 彼が母の言うことに従っていたのは、母ゾフィの意見が全くの正当なものゆえ。「マザコン」ではなく、
的確な判断を下せる母を、施政者として頼りにしている。
 自分に施された教育は厳しかったが、それゆえ道を誤ることはなかったと、やはり母は正しかったのだと、
亡き母に感謝し、妻に教育を任せきりにせず、自分がチェックすべきだったと悔やんでいると思われる。
(息子の死についても、妻のせい、とフランツは責めておらず、彼女を慰めようとしていた)。

・他人に厳しい以上に自分に厳しいゾフィ。
 老いても背筋を保とうとする強さ。
 老化でエネルギーが減衰し、異分子に宮廷を引っかきまわされ気力も落ち、曲がってしまう背中を、
気力で正していると、演技でわかる。
 彼女はいつも正しい。フランツが、
「母の言うことは正しい」
「君のため(君が宮廷のしきたりを理解して、すごしやすくするため)なんだ」
と言うが、今回はまったくの同意である。

 なのに嫁は、「私」「わたし」「ワタシ」と主張ばかり。
 夫が自分を愛していることに自信を持ち、そこに甘えて、姑が自分にした以上の無理を、
泣き喚き、自分の要求を聞かない限りは話もしないと押し付ける。
 今回の皇帝フランツは、育ちがよいように伺える。ゾフィは、適切な帝王教育を施し、
革命家などという危険分子にはしっかり排除してきたのだろうことが、
重鎮には浸透していた娼館遊びにフランツが無縁だったと表現されていることからもわかる。

 彼女は小さな子を鞭で打つなんて酷いから、という理由で、夫を彼女の武器と姑にけしかけ、
ルドルフを姑から取り返した。
 彼女が息子にしたことは、放任。
 親が忙しいのは子供でもわかる。
たまに会えるときにはぎゅっとして、話ぐらい聞いてやればいいのに、
彼女は自分の主張を通すための武器を磨くためと美容第一、美容に専念。

 そして息子は、「今日『も』猫を殺した」と武勇伝を話す少年に育った。 
 長じると彼の母と同様、自分の置かれた場所、皇太子という責任である立場にあることを軽視し、
皇帝である父の仕事を、継承権第一位という立場であるのに理解しようとせず、
自分のしたいことだけを求める青年になった。
 そして反逆者の一味であることが父にバレ、皇位継承は考え直さねばと叱られると、絶望して自殺。
 皇太子という地位にくっついているおいしいところは欲しいのに、義務は果たさないところも、
皇后の務めを否定、放棄し、皇后という地位を利用して国中から集めたミルクを入浴に贅沢に使い、
わがまま放題のように見える母親そっくりに育っている。


 このミュージカルのゾフィ皇太后に、もし、ルドルフが、厳しくしつけられていたら? 
のもしもストーリー。
 今回の皇帝フランツは、育ちがよいように伺える。ゾフィは、適切な帝王教育を施し、
革命家などという危険分子にはしっかり排除しただろう。
 ゾフィーが育てたら、ルドルフもフランツのように、優しく正しい青年になったんじゃないかな。
 立派な皇帝を軽く見る母を、軽蔑したかもしれない。
 
 そう感じさせるだけの、気高さと愛情とそれゆえの厳しさが、舞台で見えた。
 私の見た回の2014年花組『エリザ』から感じる皇太后ゾフィは常識人で、
他人に厳しいが自身にはさらに厳しい高潔な魂の持ち主。
 彼女の言うことはいちいち最もで、意地悪と曲解するだなんてとんでもない、
 嫁に嫉妬?と思うほうが頭が沸いてると思う。(このミュージカルではゾフィのほうが美人だし。
 マデレーネがゾフィそっくりだったら、フランツの“マザコン”に真を感じさせられ、怖いところでした)

 初夜の次の日、早朝の訪問にしても、酷いとは思わなかった。
武力を用いない外交の場である結婚式、国の要人が居並ぶ中、
エリザベートは「皇帝を支える皇后」になるものとしてのお披露目で
大失格の大失態を呈していた。
 彼女は、皇帝の上着にすがり付いて身動きを取れなくする
おんぶお化けのような醜態を、外交先に見せてしまった。
 危機感を抱いたゾフィは、「鉄は熱いうちに打て」と皇后教育を早速行ったのだと納得させられた。
 舞台の上のエリザベートは、
“フランツ好き好き頼りにしてる、(国なんてどうでもいいから)私だけを守って~、
私が好きなら私だけを守ると約束して~”の勘違い女に見えた。
 そりゃあ、しっかり、「皇后」というものの務めを教え込んで、
皇帝の負担や邪魔にならないようにしなければ、と、客席の私も思いました。

 国がつぶれても、自分さえがよければいい、国政をつかさどるものとしては非常識極まりない皇后に
宮廷をのっとられる恐怖はいかばかりか。
 潔癖で正しいゾフィにとって異次元のものであった娼館の手配に、限界を超えたゾフィは、
ありえないその状況に酔ったようなハイテンションで、そこまで追い詰められていたのかと哀しい。


 もしも話、その2

 もし、このミュージカルのフランツがおかめ専ではなく、一般的な美意識を持ち合わせていたら、
タイトルロールさんよりもきれいな本来の婚約者、姉娘のヘレネを選んだだろう。
 どうみてもヘレネのほうがきれいだ。
しかるべきところで、じっとしていることができる常識を持ったヘレネであれば、
ゾフィーの気苦労はシシィ相手とは段違いだし、ヘレネも従順に皇后の務めを果たすための努力を
続けていたであろうから、三色旗のドレスを思いつくことはなくても、皇帝である夫を支えて、
ゾフィ亡き後は国母として慕われたと推測してしまう。ゾフィは厳しいけれど、根底にあるのは、
ハプスブルク家への愛だから。ヘレネなら、理解はできるようになったと思う。

 病院訪問のシーンでも、ヴィン嬢のほうが高貴で美しかった。

 エリザベートの存在自体が、オーストリアにとって悲劇だったね、などと、
運命に苦しみ抗ったエリザベートが主人公であるはずの話で、エリザベートに害をなされた側の
気持ちになってしまったのは、不思議な感覚だった。

 観劇をご一緒させていただいた先輩と幕間や終演後、そしてその後に顔を合わせたときに話したのだが、
今回の芝居は、気が散ってしまい、本編と離れたことをつい、考えてしまう魔がある。
集中を持続させる巻き込み力に乏しいのだな。

 私がじかに聞く声は、タイトルロールさんは「ダメ」、パワーもないし美しさにも欠ける、なのだが、
しかし、流れている評判はいいらしい。歴代一位とかしまいし声はどこから?
 ホットワードになってる朝日新聞みたいなものかしらと、邪推させられました。
 ばかったーって本当だわ。上から目線の選民意識が、隠そうとしても自然と出ている人たちが
記事を書くと、ああなるのねえ。

 朝日新聞の公演評は、今回のエリザ役さんを「難曲を歌いこなし」とほめて、ゾフィとルキー二を酷評でした。
 朝日新聞の記事を書いた人が求めていたのは、意味のないしきたりを押し付ける鬼婆のようなゾフィと、
キ○ガイのようなルキー二、かわいそうな「被害者」エリザベートなのかな。
 被害者をでっちあげ、賠償を求め続けた朝日新聞の姿勢と似たところがあるような……。
 普通に見えるからこそ、怖く、悲劇的なことだってあるのにと、朝日新聞とは「合わない」と私は思いました。

 とはいえ、今回見た『エリザベート』は、二次創作のようでもあったから、朝日新聞の意見もわからないでもないですが。
 ただ中心が変わらないと、回りだけ変えてもダメでしょう。
 エリザベートがわがまま放題のクソガキ迷惑女、ゾフィが常識人で宮廷の良心、
フランツは面倒見がいい愛情あふれた良い人、では、トートの存在意義が出てこない。
 嫁はワタシだけのお騒がせ引っ掻き回し女、姑は息子ちゃんラブで嫁の若さへの嫉妬でおかしくなり、
嫁に無理難題を押し付けてギャーギャーわめく、挟まれた夫はしおしお、のトップで
国家が収まるとはとても思えん。
 鬼姑ゾフィと狂気が前面に出たルキー二を出すには、悲劇の皇后、が中心に座っていないと話にならない。
 そうではないようにみえた今回の花組『エリザベート』は、こうでもしないと物語が収まらないのでしょう。
 さらに、エトワールが、茶番劇でしたよとぶち壊す破壊力……。
演出家の苦労のあとがしのばれます。

 エネルギーで輝く美貌の皇后エリザベートの底に深い絶望が悲しみが、闇が広がっていなくては
「黄泉の帝王」トートは意味を持たない。
そうでなければ存在が浮いてしまい、人外のエリザのファンみたいに見えちゃう。
 私は、キャストがそろわない限り、エリザベートの再演はしてほしくない派です。

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たまり(ょ)

Author:たまり(ょ)
『マイメロ』の柊恵一さん中心感想や、奈良大淀病院事件の傍聴記録を書いていました。

現在は、感想や日記を時々。
スポットライト(好きな人しか目に入らない視野狭窄)状態で、片寄ってます。

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『おねがいマイメロディ』シリーズ(終了)
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